草原に落ちたエメラルド

 

加藤シゲアキのファンサが愛おしい。

 

3/9に加藤さんからファンサをもらった。
私の隣には「シゲ!」と叫んでる3連がいた。まだ遠くに視線があるシゲを見ながら、向いたとしてもこの子たちのほうだろうと思っていた。それもあって、自分が持っている名前うちわに対して期待はひとつもなかった。いつだってファンサが欲しいからうちわを持ってるのではなく、近くにきた彼らに対してどうしていいか分からなかったから持っていた。盾みたいなものだ。

 

ゆっくりと体ごと回転させたシゲはまるで当然のように私を見た。特別笑ったりしなかった。ただそれまでと同じように手を振ってくれた。しっかり、私の目を見ながら。瞬間、私が振っていた手は止まった。加藤さんがまた体ごと回転させてほかへ視線が移っても、私の手は止まったままだった。

ひとつの期待もしていなかったからどうしようもなくて動揺した。正直そのあと5曲分くらい記憶が消えた。
公演後、同行者に「加藤さん見てくれましたね!」と声を掛けられた。絶対にそうだと思ってるくせに、「やっぱり私でしたか?」と聞く。彼女たちは頷いて、喜ぶ私に対して自分事のように喜んでもくれた。あの瞬間を思い出す。ファンサというには固すぎる彼の表情や眼差しはあまりに真摯だった。コンサートで、ファンサービスで、そんな目をする彼の真面目さがまたひとつ愛おしくなった。

 

 

埼玉公演が終わって、フォロワーさんと会話する中で初めて「シゲのファンサは"見つける"こと」ということを知った。自分が想像していたより何倍も真面目すぎて打ちひしがれる。うちわなんか、あ~俺のこと好きな人がいる~うれしい~やっぴ~くらいのメンタリティで受け取るものだと思っていた。探さなくていい。偶然目に入るくらいでいい。そんな気持ちで持っていた私のうちわを彼は見つけたのか。健気すぎる。それで嬉しいって顔じゃなく、見たよ、いたんだね、って既読をつけるために目を合わせる。勘弁してくれ。何十年アイドルやってる人なのにこんなに謙虚でいいのか。

 

こんなに健気なのに、何が一番しんどいかって、シゲ担自身がそれに気付きにくいという事実だ。目が合ったシゲ担は、え? 今の私かな? たぶん私だと思うけど…まあいいや!自惚れよう! …そんな思考回路をする。気付くのは、隣に座る他担だ。はっきりあなたを見たよ、私のことは全然見なかったよ、という言葉を何度も聞かない限り、加藤シゲアキがうちわを見つける人だということは本当に分かりづらい。真面目で真摯で不器用。

 

埼玉のMCで加藤さんは、小山さんの爆ファンサに「節操がない」って言っていた。いやいや言い方!と爆笑したんだけど(本人もそのあとちゃんとフォローしてた)、そのあと加藤さんは自分のファンじゃない人にファンサをしても「あなたじゃないよ~」って思われる可能性についてて語ってて本当にびっくりした。ほとんどのファンは嬉しいし、ていうか、そこ気にするの???って思うと「節操がない」というコメントが急にまた別の意味で聞こえる。絶対に喜んでくれる自分のファンにファンサをしようと思う人。いじらしい。

 

 

 

そして、ここからは私の妄想だけど。

私は、よく人は鏡だと思っている。人は傷つけるとき、自分が傷つく言葉を無意識に選ぶそうだ。きっと喜びや思いやりもそうなんだろう。そう思うと、もしかしたら加藤さんも見つけてくれるのが嬉しい人なんじゃないか。

 

あまりに愛おしくて困る。だって、私はもうあなたを見つけてしまっているのだから。