茨道の向こうには、蒼。

 

 加藤シゲアキが小説デビューをしたとき、NEWSファンでもなんでもなかった幼い私はワイドショーを見ながら「ああ、茨道に入った」と思った。
あのときの私は邪推が得意な大衆のひとりだった。

 

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フォロワーさんと通話しながら、「私は「世界」を聞いたときにシゲが自担になったんだよね」と伝えたら、最近ではないかと驚かれた。本当にそのとおりだ。

せっかくなのでその経緯をブログに残そうと、あのときの生の言葉を探すためiPhoneのメモを漁り、スケッチブックを2冊めくり、ノートをひっくり返した。なかった。加藤シゲアキについてだけ、言葉がまったく残っていない。溢れる言葉をすぐメモする人間なのに、忘れるのが怖くて一瞬を留めておこうとする人間なのに、加藤さんにだけそれをしていなかった。馬鹿野郎と自分を罵倒しながら、納得しているこころがあった。
彼に対して強い何かを抱くときは、自分の中で繋がった瞬間だ。点ではない、刹那ではない、一瞬ではない。ずっと忘れていた一文や感情が自分の中で繋がる、伏線が回収されていくような感情だ。

瞬間を書くことが得意だった私はその長い感情を綴る言葉を持てず困っていた。溢れるこころは、全部ばらばらな一瞬の記憶と共鳴してゆく。加藤シゲアキはそんな長編の本みたいな人だった。

 


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2006年、櫻井翔がニュースキャスターに就任した。嵐の冠特番が組まれたり、少しずつグループとして軌道に乗り始めていた時期、インターネットがさほど得意でない私(嵐ファン)ですら歓迎されていないムードを感じた。ジャニーズという肩書きは大きく、なんで、わざわざ、そんな言葉が巡る。それは1年や2年で払拭されなかった。
数年後、VS嵐でフォーリングパイプという競技にベテランのアナウンサーが挑戦した。この競技は上から落ちてくるパイプをタイミングに合わせてキャッチするというシンプルなものだ。対戦相手が精神を揺さぶらせてボタンを押すとパイプが落ちる。このときキャッチをする側は櫻井翔だった。
アナウンサーは「あんまりこの分野を荒らしてほしくないんだけど」そんなことを言って、ボタンを押した。その言葉の鋭さに、私はよく覚えている。
(当時幼かった私は大学合格の大変さも卒業の凄さも知らないがゆえだが)大学は単位さえ取れればいつか卒業できる。でも櫻井翔がやっていることは続けなければ証明できない。そういうことをしているのだ、そう思った。ジャニーズだから。アイドルのくせに。そういう言葉が当然のようについてまわる時代。


その不穏さに抱いた強い感情はそのまま加藤シゲアキにおける「小説家」にも適用されたのだ。パイオニアは続けることでしか肯定されないという意地悪。
そして、そんな茨道に入ってしまったアイドルに対して、興味も関心も持たない大衆だった私はそのまま彼をしばらく忘れた。

 

次に加藤さんとすれ違ったのは『失恋ショコラティエ』だ。水川あさみ演じる薫子とちょっといい感じになるショコラティエ関谷。クールで、"何も無い"男として原作で描かれている。加藤シゲアキが演じるのを見て「関谷にしてはカッコよすぎるよね」と妹とよく話した。黒Vネックが似合っていた。
加藤シゲアキは顔が綺麗な人だった。


次にすれ違ったのはWhiteコンのDVD鑑賞会だった。Whiteのときの加藤シゲアキはすごい。間違いなく私は今の顔のほうが好きなのだが、それでも一番「綺麗」と呼べるのはこの時期だと思う。あのいっとうに輝くビジュアルで「ESCORT」を歌った。明らかに直近に見たミュージカルに引っ張られながらも、こんな理想のソロ曲を歌う人が自担だったらファンはどんなに幸せなのだろうかと考えた。
加藤シゲアキは脳みそが好みな人となった。


ここからNEWSが気になりだして、加藤さんと何度もすれ違った。変ラボで神から運動神経を奪われていることを知った。浮世絵が好きなことを知った。時かけの2話が切なくて好きだった。ピングレを読んでわざわざ芸能界について書く覚悟を想った。映画を見たら原作と違う結末だったため、小説の核がより一層際立って感じた。ツッコミの癖が強くていいなと思った。嫌われる勇気はワンちゃんみたいで可愛かった。Neverlandで小山さんの誕生日ケーキを鷲掴んだのには笑った。NEWSの風紀委員ぽい立場が可愛かった。
そうやってずっと、すれ違っていた。


EPCOTIAで一番近いリフターで上がって「U R not alone」を歌ったのはシゲだった。本当に体調が悪いのではないかと思うくらい何度もしゃがんだ。このときの私は知らない。彼は本気でURを歌うから、限界までいって空っぽになるから座り込んでいたことを。

NEWSへの感情が高まったあとの6月は不思議だった。生まれて初めて、どんな言い訳も無駄なほど体に「好き」だけが残った。同時に少しずつこの「好き」はフェードアウトするものだと思っていた。経験上、どんな「好き」もだいたいそんな結末を迎えるから、特別向き合おうとはしなかった。でも気付いたら、ドラマ「ゼロ」が始まって毎週リアタイできたこと、ドリフェスのチケットが舞い込んだこと。Strawberryに行けることになったこと。偶然と、彼らが手に入れた仕事はフェードアウトとは反対に私を引き付けた。


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Jr特番「標への道」にシゲが出た。Jrと並んだシゲは「大人」だった。先輩であり、大人であり、主演の男は「今日はちょっと疲れたからと手を抜いていい仕事はない」と言った。緊張が走り空気がピリっとなる空間が苦手で避けてきた私のこころは、目をそらそうとした。


夏。Strawberryの二日目に行った。各メンバーが15年前の自分へという映像が流れた。

あのときは15年経ったらきっとすっげえ落ち着いてるとか、すっげえ安泰とか、きっと楽に楽しく仕事できると思ってたと思うんだけど、時間が経てば経つほど簡単にできる仕事はなくなってくるし、強く生きて必死で頑張っていかないと、色んなものを失うって気付くと思うんで、これから大変だと思うけど、それでも頑張ってほしいなと思うし、15年後の俺も落ち着かずに戦っていてください。

「標への道」のときの加藤さんの言葉と合わさって、反響する。「やめてくれ」という感情とともに「やっぱりそうなのか」と自我が呟いた。
私はずっと人生には休息地があると思って生きてきた。いつかふと楽になると。仕事や恋愛でもなんでも、どこかで「もう頑張らなくていいよ」という、いつかゴールが人生にあると思っていた。「やっぱり」と思ったのは、どこかで気づいていたからだ。頑張らなくていいという休息地は多分存在していない。ここだと思った場所も、頑張らなければ失う。だから人生は頑張り続けるしかないのだ。
加藤さんの言葉は、私に優しい絶望と残酷な希望をくれた。

 

 

 

 


引き続き、夏。
友人が絶対に読むべきだと2015年の一万字インタビューを貸してくれた。一行一行が確かな重さを持って降り注ぐ。

で、"最終的にやりたいことはなんなの?"って言われて。"25才までに小説を書きたいとはずっと思ってました"って、何気なくポロッと言ったんです。そしたら、"3月31日までに書いてこい"って言われて。

-MCで呼ばれ、ステージに立ってるよね
うれしかったけど、やっぱどこか寂しかったな。だって俺が、小山がそこにいなくても成立してるんだもん。(中略)もしかして俺は二度とステージに立つことはないのかもしれない、俺の最後のステージはもうとっくに終わってるのかもしれない、ここから見える景色をもう二度と見ることはないのかもしれないって思っちゃって。

本音を言えば反対で。6人のNEWSを守りたくて書いたんだけどね、止められなかったけど。止めたかったな。

"尊敬してよ。だって俺、こんなにがんばってるじゃん!"って、いくら言葉で言ってもダメでしょ。言葉って無力な時があるから

今までどれほど彼のことを勘違いしていたかを知り、自分が抱いていた愚かな邪推に打ちのめされた。
彼が愚かだから、浅慮だから、茨道に入ったわけではない。
「わざわざ」芸能界について書いたわけでもない。
NEWSが納得の末、4人になったわけでない。
そうせざるを得なくて、そうならざるを得なくて、そうなった。

もがいてもがいて、何か出来るかもしれないともがいて。その先にあった藁を掴んで。必死になって"間に合わなかった"人の痛みってどれほどだったんだろう。返事のない疑問が宙に浮いた。


同時に刺激も受けた。不安とも称せる。私の人生は果たしてこれで良いのだろうか?
焦る中、焦ることだけは駄目だというのも分かっていた。焦った結果、転んで結局中途半端に終わることが何度も何度も今まであった。焦るんじゃなくて目の前からだと、今までとにかく避けてきたものに自分なりに向き合ってみた。今も向き合ってる。正解が分からないまま、上手でも器用でもないまま、当たり前のことに向き合う。家事とか、お金とか、仕事とか、友人とか家族とか、いろいろ。全部。やれそうなところから、少しずつ。
こうやって言葉にすると立派だが、たぶんみんな普通に出来てることと向き合ってる。面倒だったからやらなかったことと折り合いを付けたり妥協したり、頑張ったりしている。
やってみて分かったのは、面倒だと思っていたことと向き合うのは面倒だけど意外と楽しかったということだ。
知らなかったな。

 


冬。RIDE ON TIME
金田一の格好をした加藤シゲアキは言った。

「どんな仕事もなんですけど、本当これが最後だと思ってやってるんですよ」
「これが遺作になっても後悔しないところまでやりたい。それぐらい全力でやろうっていう」

刹那的な力強さに、少しの恐怖と心配に似た感情を抱いた。1回死のうと思ったことある人間が言うようなセリフだなと、当時は反射的に思った。
一万字のインタビュー「最後のコンサートが終わっているかもしれない」感情を持ち続けているがゆえに出たセリフなのだろう。アイドルとして1回死にかけたのだから。

 


2月。アルバムWORLDISTAが発売された。家のスピーカーから流れる曲と同期させるように歌詞を目で追った。

「世界」を聞いたら、加藤シゲアキが自担になった。

やっぱり、ここまで書いといて、この部分は上手く書ける気がしないなあ。

どこかで生きてる誰かに悩んで
どこかで生きてる誰かに頼って
どこかで生きてる俺も誰かでどうすりゃいいの

彼にかける言葉なひとつもなかった。彼の力になりそうな言葉をひとつくらい見つけて渡してやりたかった。なかった。
ぐらつくレゾンデートルはどうしてやることもできない。貴様が世界なら、私達は互いにできることなんてほとんどないのではないのか?

あのとき上手く言葉にできなかったけど、多分分かってあげたかったんだろうな。「世界」を聞いて、人間というそもそも孤独なものの前で、何かでありたいという欲望を抱いてしまった。愛おしくなってしまった。そんな、まったく別々の者なのにこの歌を聞いて「あなたは私だ」と思ってしまった。

 

whynot4696.hatenablog.com

世界についてはブログも書いた
説明不足の意味の分からないものになった。そうしたかった。そのまま丸ごとを書きたかった。誰でもない私が感じたことを。

ただ、感じたことを書くだけではネガティブになることは分かっていた。だから延々と聞いて、延々と考えた。ネガティブを感じさせたくて歌うわけがないと、シゲが持ってる正解ではなく、私が私の正解を見つけたくて聞いていた。ずっと。

出した結論はこうだ。

私が世界なら、それならば、世界をどうにでもできるのだなと、ふと、気が付いた。
私を不安にさせる世界も、私が私の力でどうにかできる。

世界は変えられる。
小説を書き上げたあの日の加藤成亮のように。

 

 

 

ライナーノーツ、ソロバージョンが上がった日、NEWS担の友人と飲んでいた。「1人になってから読みたい」と伝えたら快く承諾してくれた。「めちゃくちゃに長い」というネタバレだけをもらって、勘弁してくれと頭を抱えた。
端的な言葉でいえば、加藤シゲアキが自分自身について歌った曲である。それでも聴いた人が自分の歌だと思ってくれたのなら、ということが書いてあった。本気で驚いた。
あんなに生々しい言葉を人にあげるなよ。貴方が貴方のために感じ切った思いを、そんなふうに人に渡していいのか。
いろんな考えが浮かんだ。浮かんだけど、どうしようもなかった。
「私の曲にしていい」と思ったら、とてもほっとしてしまったから。「分かる」と思うたび、罪悪感を感じていたのに、唐突に許されてしまった。


ずっとずっと、訳もなく不安なこころに加藤さんがやってきて「俺もそうだ」と隣で呟いた。
あの日からずっと困ってることがある。不安を感じたとき、寂しいと思ったとき、ひとりが怖いと思うとき、隣に加藤さんがなぜかいる。知らない間にこころに住みついてしまった。光でなく、何か言葉をくれるわけでなく、ただ、いる。そうやって踏ん張る力をもらってしまっている。勝手に救われてしまっている。困った。

 

 

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加藤シゲアキが自担になるまで」というブログを書こうと思ったとき、私が加藤さんに宛てたい言葉ってじゃあなんなのだろうと自分に問いかけた。
せっかくなのでイマジナリー加藤シゲアキを召喚した。もし目の前にいたら、私はなんて言うのだろう。空想癖はこういうとき便利だ。
加藤さんの目を見る。まずは、「世界」が本当に素敵だと思ったこと。それから仕事の向き合い方について心を刺したこと。私なりに頑張ろうと思ったことを、頑張っている話をつらつらと話す。あらためて「世界をあなたの曲にしていい」と言ってくれたとき、私もそんなふうになりたいと思った。

「だから、私は…貴方に憧れています」

ぽろ、と出てきた言葉に、驚きすぎてイマジナリーをシャットダウンさせて、空想を中止した。

え!?私、加藤さんに憧れてるの!!!?!!?!

布団の中でうずくまった。今まで人に対して「憧れ」なんて言葉を使ったことないのに。イマジナリーの世界とはいえ滑らかに出てきた言葉を反芻する。「憧れ」。考えれば考えるほど心当たりがありすぎた。Strawberryのときの言葉。一万字インタビュー。ROT。「世界」。今まで積み上げてきたものが、「憧れ」という言葉の下で繋がる。

本番じゃなくて良かったと転げ回った。世界を歌える勇気とたくましさが、優しさが欲しい。たくましさはきっと強さとは違う。だから貴方に憧れている。

 

 

 

 

***
と、いったことをブログにまとめようと思っていたのが春。気付いたら7月になっていた。最悪加藤さんの誕生日に間に合えばいいやと思ったら本当に誕生日がきてしまった。
加藤さんは不思議な人だ。加藤さんを見ていると、私は私と向き合い始める。"自分"を思い出すのだ。このブログも書くのに時間が掛かったのは「人間・失格」か?というほど懺悔から始まる自分自身の話が溢れ出したからだ。そんな鏡のような魅力がある。

 


アイドルは必要なときにやってくると思っている。「Youは何しに日本へ?」という番組でももちファンの外国人の方が取り上げられたことがある。ももちの卒業ライブを終えた彼の言葉のひとつに「アイドルは探すものじゃなくて向こうからやってくる」というものがある。なんだか運命めいていて、自分の思想として持っていた。

加藤シゲアキを好きになって思い知ったのは、それが奇跡ではないことだ。たぶん、アイドルを好きになる人間はずっと、あるいはそのタイミングで欲しているのだ。何かを愛することを、何かを夢見ることを、何かに救われることを。その手を取れるのは、アイドルが愛されようとして、夢を見て、まだ見ぬ誰かを救おうとして、手を伸ばし続けているからだ。
だから奇跡じゃない。運命は呼ぶから来る。

 

 

加藤シゲアキは、私を救ってくれたヒーローだ。
誰にとっても、人生ってたぶんどこか茨道で。そこを歩むためにあなたが必要だった。遅くても早くても駄目だった。「いま」だった。

アイドルになってくれて、アイドルでいつづけてくれて、ありがとう。

 

あなたが抱く以上のたくさんの愛を受け取り、愛を与えることで幸せを感じられるような、そんな一年となりますように。