予感は結晶化する

「生きてる人間に対して、こういうところが好きだって明確な感情を持って追っていると、いつか好きでなくなる日がくるのではないか?」とアイドルを応援している友人が言った。
何も言えなかった私は、ただ、「いったん持ち帰らせてほしい」と言った。数年前の出来事だ。

 

〇月〇日
引っ越した。
実家に帰ろうか悩んでいるところを拾われ、気付けば5年一緒にいる同居人とともにに引っ越した。職場から遠いことと仕事の多さに限界を感じ、最悪一人で暮らそうと静かに物件を眺めていたとき、同居人に「ジムに入会しようか悩んでいる」と言われ、それでは絶対一人暮らしになってしまうと(なぜか)焦った私が引っ越しの話を持ち掛け、そこからとんとん拍子に進み、今に至る。
私たちの引っ越し話は今まで何度も出ていたが、互いの収入やちょうどいい物件がなかったので何度も話が流れた。なのに、今回は本当に不思議とすべてがかみ合った。

新居は収納が多いが、謎の柱が数本部屋の真ん中に立っている。その邪魔さにウケてしまい、面白物件として1件目の内見に選んだはずが、水回りの綺麗さと窓の多さにほれ込んで、そのまま申し込みに至った。
年度末には物をたくさん捨てて、ベッドや棚を解体して、くたくたになりながら気づけば引っ越していた。
収納類を捨てすぎた同居人の部屋の床には、お気に入りのぬいぐるみたちが可愛く転がっている。
まだ、うまくは飾れないけど絶対にしまえないそれたちは、愛を持って太陽を浴びている。
可愛い。

一方、私はデスクと一人掛けソファを購入し、棚にはお気に入りのインクと照明を飾る。
気付けば、生活が出来上がっていた。
リビングには同居人が選んだ絵が、小さな人形と花瓶が飾ってある。
邪魔な柱は一人掛けソファを2つ購入し挟めば、まったく気にならないものになっていた。
調子に乗ってKEYUCAで買ったビールグラスを2つ並べて、2人でご飯を食べたりする。

生活は、出来上がっていく。
キッチンもお風呂も広く、今まで屋根裏で寝ていた生活と極端すぎて、どちらも実感が遠ざかってゆく。
夜に、オレンジ色のライトに照らされるリビングを見ると、奇妙な気持ちになる。すごく欲しかったわけではないのに、整った綺麗な生活たち。春の誕生日には同居人からチュベローズの香りがするボディソープをもらい、引っ越し祝いに母からはホットクックをもらった。オーブントースターと洗濯機を新調した。

全部ある、生活。

こんなもの持てると思っていなかったから、実感だけがない。まるで自分がいないみにたいに、景色を眺めているだけのような気分になる。
でも、私のものなんだろう。たぶん。
そういったことを認めなくちゃならない。

過去の日記で「永遠だけがない」と書いた。今、つまり今日は、永遠とかにかかわらず大切にしないといけないのが生活なんだろうと思う。大概のものは、簡単に壊れちゃうし、ちゃんと思い出を天国に持っていきたいから、大切にしたい。

いつか同居人にお椀とお箸をもらったとき、私は全然認められなかった。生活があること、家があること、エトセトラ。
あれから気づけば5年たつ。あの瞬間に抱いた生活の予感みたいな、それらが形になって、ふしぎ。愛おしいと寂しいが、目の前に広がって、ただ受け入れるべきなんだよと、心が先に答えを教えてくる。


〇月〇日
メトロックに行ってきた。一曲目フルサイズの「weeeek」ではずっと飛んだため、酸欠か熱中症になり無限に汗をかいた。そのせいか周りの状況を正確にとらえることができずインプットが十分にできなかったことが悔やまれるが、恐ろしいほどに楽しんだ。

加藤さんが、とても楽しそうだった。客席を見て、満足そうに笑う。「未来へ」ではファンの「wow」が響いたとき、ふと後ろを向いた。おそらく後ろのモニターを見ただけなんだろうけど、私はなんとなく、加藤さんの中で感極まるものがあったんじゃないかと思った。うれしかったら、いいな。

「U R not alone」は「NEWSが”歌わない"ことは"""ない"""んだよ」と、メトロック前にTwitterに書いた。やらないわけが、"""""ない"""""。予想通りというべきか、まさかラストに持ってきてくれた。

いつからだろう、2番のAメロの加藤さんから目が離せなくなったのは。

あのころの僕は負けそうになると
誰かのせいにして逃げて
諦めた言い訳はそりゃ楽で
そして僕はまた自分に負ける

加藤さんはこの歌詞を、いつも痛々しそうに歌う。
後悔をにじませて、悔しそうに、苦しそうに歌う。

いつから加藤さんはこの歌詞を、笑って歌うようになったんだろう。

過去に友人と、「好きなところがはっきりした状態で好きに―――ファンに―――なったら、その「好きなところ」がなくなったとき、たぶんその「好き」は終わるんじゃないか?」という話をした。悩んで、持ち帰った議題はずっと私の中にある。時折、手にとっては眺めて、しまう。

あの、2番のAメロを苦しそうに歌う加藤さんが好きだった。ずっと過去を後悔していてほしかった。いつまでも苦しんで、もがいていてほしかった。
もがけばもがくほど、加藤さんが好きになれる気がしてた。私がそうであるように、「もがく意味」が欲しかったのだ。

加藤さんが直木賞候補になったとき、正直に言えば複雑だった。
賞という自分以外の価値観ではかられてしまうことへの恐怖もそうだが、私を置いて立派になったらどうしようという感情が芽生えたのだ。そのまま言うには欲望が強すぎる感情だが、大本はそうだ。そうなったらどうしよう。もがかなくなってしまったらどうしよう。私はまだもがく必要があるのに、あがきたいのに。
どうしよう。

鬼は笑う。直木賞のお祭りは楽しく、考えたほとんどは杞憂だった。でも明らかに加藤さんの肩の力は抜けていったように思う。大きく変わることはなく、地続きの人間がいる。
「音楽」コンサートで加藤さんは柔らかく笑うようになった。ファンサのトロッコでそんな表情をするんだと、素直に嬉しかった。

メトロックの「U R not alone」。約4年ぶりになにも気にしなくていい、声出しの場だった。こんな人生の節目で歌われたら人生の曲になっちゃうよ…とか思って、聞いた。

「拝啓、あの日の僕へ」
初めて聞いたのは2017年、自分が空っぽだと思った私へ。汗だくになりながら、2023年に歌っている。

加藤さんは2番のAメロを増田さんと笑いながら歌っている。
そこで友人からもらって何年も眺めていた議題がするっとほどけた。

私も変わる。
別に苦しむ必要はない。というより苦しむふりは必要ない。
苦しまずとも、頑張れる。2017年からの私がいる。
痛々しくなくとも汗だくになれる。君がいる。
私の過去と今、その少し先に自信を持って笑う君がいる。それ自体に勇気をもらう。
好きなところが変わったわけではない、この好きは地続きだ。私も君も相応に変わっていく。年を重ねていく。


―――本当は、点と点を時間をかけて結んだだけだ。
だって、本当はね、友人からあの話を聞いたときから、結論は決まっていた。「それでも好きは終わらないのではないか?」と言いたかった。証明するために必要だった長い時間だ。

 

 

予感は結晶化する。
もしかしたらそうなのかもしれないと思える時間は今までいっぱいあって、いつか知るのだろうかと期待をもたないでいた。出会うことや受け入れることはいつだって時間を要する。誰かが言った言葉を知るための時間。芽生えた疑問に生きる時間。幾千の失敗と経験は目に見えない形で蓄積されて、気づいたら結晶になって、形づけられて、

認めようよ。

受け入れてみようよ。

そんな予感。