思い出して、王子様。

3rdシーズン 全国大会立海 前編。

 

「思い出せ、越前」に何回も泣いた。回を追えば追うほど涙が溢れた。自分でもよく分からない。桃城が「なんで忘れちまった」と歌うたび泣いた。過去の公演では「どういう感情なんだろう」とか「どうして彼はこんなセリフを言うのだろう」とか、いろんな疑問を持って、証明のために観劇回数を重ねていた。全国立海前編はいい意味で力を抜いて、取れたチケットの数だけを見ていた。もちろん頭を使いながら観る癖は抜けないけど、思い出せ越前はそういった頭の使い方をしていなかった。ただ、余計な気持ちを入れず、聞いて観ていた。

 

 

 


越前リョーマテニスの王子様だ。みんなが一年ルーキーに力と勇気を貰う。みんなが越前リョーマに憧れて、リスペクトをして、彼をヒーローとする。青学が「勝ってほしい」と思うのは自分のチームであること以上に、「越前リョーマに勝ってほしい」という感情の入れ方をしている。勇気をくれたヒーローが勝つ姿を見たい。

思い出せ越前には、「俺が優勝したいから思い出せ」みたいな利己的な感情を感じないのだ。思い出してくれ。俺たちは出会った。

 

 忘れるっていうことは寂しい。失恋みたいだからだ。生きてるから死ぬみたいな話で、生きていると当然忘れる。出来るだけ忘れたくないのに毎日の莫大なタスクの中で、どこかに記憶を落としてしまう。それ自体は仕方ないことだ。

 

桃城は「なんで忘れちまった」と歌う。その言葉自体に愛があると思うから泣いてしまう。忘れないでくれ。だって俺たちはテニスという繋がりの中で出会った。気づいたらそこに絆が生まれていた。みんなで勝ちたい、このチームで勝ちたいという感情が生まれた。忘れてしまうなんて寂しいじゃないか。悲しいじゃないか。あの日々は、テニスといのちは何にも代えられない眩い光だったじゃないか。

 

そもそも、「おまえはテニスの化身」だとか「コートがおまえの人生の人生のフィールド」だとかいう歌詞にはちょっと引いていた。そこまで他者が勝手に言っていいのだろうか?それは身勝手ではないのではないかという感情を抱いていた。

 全国立海前編を終えて。もし彼らがそんな問いかけをされたとしても、それでもリョーマに言うだろう。越前リョーマテニスの王子様だから。私が心配していたような、「身勝手な決めつけ」である可能性はある。それでも言うだろう。それを越前リョーマがどう思うかは分からない。分からないから言ってみるのだ。そうであることを信じたいから。

 

彼らの言葉には願いと勇気が乗っている。

 

記憶を失った越前リョーマが「何のために戦っているの?何を目指して競い合うの?僕にもそれが必要なの?」と歌うのにもやっぱり泣いた。どうしてだろう。どうして僕達は戦うんだろう。どうして君に必要だと思ってほしいんだろう。もはや、これは願いだ。おまえと勝ちたい。おまえにもそう思っていてほしいという願いだ。

越前リョーマは歌う。「どうしてそんなに熱くなるの?攻撃的ににらみ合うの?僕にもそれが大切なの?それが僕の生き様なの?」

そうだ、と歌い返す。「思う」のが祈りならば、「言う」ことは勇気だと私は思うのだ。今の越前リョーマがそう思う保証なんかどこにもないけど、言って、可能性に懸けることに勇気がある。

だからべしょべしょに泣いた。これは「身勝手な決めつけ」なんかじゃない。そう思っていてほしいという願いと、何も覚えてない少年の手を引く勇気だと思って、泣いていた。

 

そんな中で越前リョーマが無垢な瞳で「テニスを教えてください」と言うのだ。泣いちゃうだろう。僕達の身勝手(かもしれない)気持ちが一瞬両思いになる。自分が好きだと思ってるものを知ってみたいと、純粋な瞳を楽しそうに輝かせてくれる。

僕の好きなテニスは、君にとってもそうであるなら、嬉しいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

泣くほど感情が動かされたのは、別の理由もある。 

テニスにかけたあの日々を、テニスに委ねた熱い命を、思い出してくれ。

私はこの言葉に自分を重ねている。みんなに忘れないでいてほしい。友人、フォロワー、役者、とにかくみんなに忘れないでいてほしい。


何回も言っているけど、私にとってテニスの王子様観月はじめだ。今日、大千秋楽を終えて友人と話す中であらためて思い出した。友人はこれから王子様と卒業という名のお別れを控えている。話すうちに、やっぱりそれはただ寂しいことじゃないんだなと思った。

初めてのお別れの日。私は寂しかった。これは失恋だ!とか言って喚いたりもした。二度目のお別れの日、失恋じゃないと思ったのは彼らも忘れないでいてくれることに気付いたからだ。

私はずっと覚えてる。観月はじめに「恋」と呼べるほどの感情を抱いて、大好きで大好きでたまらなかったことを。もっと細かいことはたくさん忘れていったし、きっとこれからも忘れる。でもそれだけは覚えてる。彼も覚えてるだろう。たくさんいろんなことを忘れても、観月はじめを演じたという事実は覚えてる。

私たちは確かに同じ時間を過ごした。何か特別なものを交わしたりしなかったけど、彼はただ演じていたし、私はただ観ていた。これからどんなに離れていっても、あれは確かに同じ時間だった。

 

同じ時間を過ごすことが出来た。たったそれだけのことと言われればそれまでだけど、それは当たり前じゃないことだと、奇跡に近いようなことだと私は思うのだ。同じ時間を生きていられたことは尊いものだと思うんだよ。

 

 

 

 

 

だから、思い出せ、越前。

おまえは、俺たちの希望の星なんだよ。

あの瞬間に3rdシーズンの走馬灯が駆け巡る。テニスに委ねた熱い命を、思い出して。