夜二十時三十二分、夏、渋谷にて。

<2020/11/11追記>

公演発表おめでとうございます!なお、このブログ(再演感想)にはネタバレが若干含まれたり、舞台とは関係ない感傷があります。ご注意ください。

<追記ここまで>

 
 
 
毎日がすさまじいスピードで過ぎ去っていく。

今年は暑くない夏だった。
 

「朝彦と夜彦1987」再演 感想
 

今回、再演が決まってから私はツイッターやブログでたくさん喚いた。
そりゃもう、運営側の目障りになるんじゃないかっていうくらいに喚き散らかして、宣伝のようなものをしていた。
見に行ってください。チケットは安くないけどどうかお願いしますと。
見に来てください。
これは、私のいのちなんです、と。

たくさんの人に愛されてほしかった。
おかげで若手俳優にも舞台にも詳しくない友人もたくさん来てくれたし、知り合いと毎日会うものだから、もはやちょっとしたオフ会だった。言ってみるもんだなとちょっとびっくりもした。

私はこの舞台の何かにでもなったつもりかと自分に対して思ったりする。
いろんな気持ちを、大げさに、正直に。
私のいのちだ、と。言いながらもだんだん分からなくなっていったところもあった。なんでこんなに宣伝しているんだろう。なんでこんなにうれしくて不安なんだろう。
なんでこの舞台が好きなんだろう。

***

渋谷の街は相変わらず好きになれない。
雑多で、観劇以外特に用もなく、看板は突然なくなるし、何がどこにあるのか分からない。
ハチ公口からスクランブル交差点を抜けるとビルとビルの間から広い空を見るたび、この街は私の街ではないと思う。 
 
「朝彦と夜彦1987」を見るために渋谷に行ったときも同じことを思った。スクランブル交差点を抜け、やっぱりあの空があって、それでも歩いてディズニーストアを通り抜ける。劇場のあるビルの1階にはラジオブースがあり、さまざまな年齢層の男性がガラス越しにアイドルみたいな女の子を眺めていた。
初日。座席に座り、携帯の電源を切って、ああ、もうすぐ始まるのだと顔を上げた瞬間。
ふと、あの日から私はずっと私なんだなと思った。
4年前、初演を見たあの日は自分の幼さに気づいていなかった。
就職したり、引っ越したり、たくさんのたわいない日々の重なった4年間。
あの日の私と何もかも違うけど、全部私だったんだな。
そんな妙な感覚のまま、舞台は幕を開けた。
***
本当につらかった数年前の日。この戯曲を何度も何度も読んだ。
声に出して読むこともしばしばあった。
どこかの国では集まった他人に家族の役割を与え、
自分も役割を持ち演じるというセラピーがあるらしい。
たぶん、この行為もそういう類いなのだろうと思ったけど実際はどうなのかは知らない。
それでも繰り返して繰り返して、ほっとしていた。
彼らの言葉は、私の言語化できない感情を癒していった。

初日は本当にドキドキした。思い入れ強すぎて、見たら何か変わるんじゃないかと怯えてもいた。
事実、たくさん変わった。初日だけではなく全チームが朝彦と夜彦の、この舞台の様々な面を教えてくれる。

どうして涙が出るんだろう。なぜ苦しくて、怖いんだろう。
戯曲をたくさん読んだせいで空で言えるようになったセリフに、なぜまた泣いてしまうんだろう。
朝彦があんなにも夜彦を愛おしそうな顔で見ることを知らなかった。夜彦の声があんなふうに憧れをこぼすことも知らなかった。ふたりがちゃんと違う人間として立っていることを思い知る。残酷なシーンはより残酷に、雷鳴のようなセリフ、断絶のセリフ、もう一度、出会いなおすようなセリフ。知らないもののほうが多かったかもしれない。
あるシーンでは、心臓から血が垂れ流されるようだった。
返ってこない疑問はさみしい。
不安にはいつも理由がない。
生の舞台はいろんなことを教えてくれた。


4年前の初演はただ苦しくて泣いた。
助けてやってくれ。助けてくれ。夜彦を。
私の中にいる夜彦を。私を。私を助けてくれ。そんな感情で。

私は夜彦の過去がもし何かとてつもない大きな事件が起こったせいで、とかだったら一気に興ざめするところだったのですが、さすがというか、ここもとても悲しいくらい、ただ何もないんです。

もちろん父親の自殺という大きな事件を目の当たりにしているけど、結局父親の死の真相は知らず、音楽教師と同級生に対してふざけるなと心で罵倒しながら、ありがとうと言って泣く。そこにあるのは自分勝手な人たちの果てしない善意で、怒りや悲しみよりも空虚さがある。

4年前のブログでこう書いた。「父の死」をよくもこんなふうに書けるなと自分への軽蔑と後悔で、よく思い出す。
同時に、私にはそう書くしかなかった。
私の父はいなくなった。そしてその理由を知らない。
だから夜彦に感情移入をしていたし、夜彦と父についても当時の私は大したことのない事件というほかなったのだ。
私のとっての慰めがこの出来事を「よくあること」で片づけることだったからだ。空虚も、死も、嘘もそうだ。
17歳の少年が死に導かれることなんてよくあることじゃないか。そうやって言うしかなかった。


***
初日、私のもとにツイッターのDMが届いた。宣伝未満の私のツイッターを見て、感化されてくれた人からだ。
「はじめまして」から始まった。

(中略)

私も、夜彦くんとそう遠くない朝をよく迎えます。
死にたくて、死ぬのが怖くて、たくさんの死にたいを喉に詰まらせながら20余年を生きてきて、だけど、今日、朝彦と夜彦に出会えて。月並みな言葉ですが生きていて良かったなぁと。なにか、どこか、許された気がして救われたというか、安心したんです。

読んで、電車の中で泣いてしまった。
そうだ。私が見てほしかったのは、あの日の私みたいな人だ。死ぬのは怖くて、死にたくないのはさみしい。
今しか綴れない彼女の言葉のおかげで、当時の感情が鮮明によみがえった。

朝彦「どうして嘘をつくんだ。」
夜彦「俺にもわからなかったさ。どうして、自分が嘘をつくかなんて。」

本当はずっとうそなんかつきたくなかった。
でも、どうしても普通じゃない自分はうそを重ねていく。
場のために、求められた自分のために、あるいは本当の感情が分からないがゆえに。
誤りでない言葉を探して探して、そんなものはないのに探して。
そうやってうそをつくしかなかった。

***

どこか許された気がして、救われたというか 、安心したんです。 

フィクションや、あるいは物語に意味はあるのだろうか? という話を数年前、友人としたことがある。
そんなさみしいことを言うなよと友人は言った。
意味はあるのだろうか。まだ分からない。
それでも、、、なんだろう。なんて言ったらいいんだろう。
少しばかりの薬になりえる。
勇気か、癒しか、安心をくれる。あいまいな感情に寄り添ってくれる。


***
初演を見て「17歳の少年に絶対に言わない」と誓う朝彦の眩しさが羨ましくて優しくて大好きだった。不思議だったのは、再演を見たら朝彦の気持ちがよくわかるようになったということだ。
夜彦は、あるいは17歳の自分はとても面倒で、ずっと手をこまねいていた。
「大人になればわかるよ」?「人生は長く生きるといいことがあるよ」?「君は幸せになれるよ」?「大丈夫だよ」? いったい、どんな言葉をかけてやればいいのだろうか。「今が苦しいんだ」と反論されたら、私はどうしたらいいんだろう。そうやって、どんな言葉も届く気はしなくて、ずっと持て余している。

生きることに一生懸命な夜彦をなんとかしたいと思う朝彦の感情に、とても共感できるようになったのだ。初演のときには傲慢に聞こえたセリフが、切実さを伴って私を動かす。当たり前のことしか言えない自分に嫌気がさしながらも、それでも何かあるんじゃないかと、探す。
「未来は悪くないものだよ」とたまに思ってしまう。
そうやって私もまた傲慢な1人になっていく。

***

先述のとおり、たくさん宣伝したらたくさん友人が来てくれたし、終わったあと友人たちとご飯に行く機会もあった。
とある子が「しんどくなかった」「ハッピーだった」と言い、場が騒然となった(しかもCチーム後に!)
たくさんのハテナの中で、彼女の話を聞いた。曰く「ずっと噛み合っていたから」だそうだ。
「17歳の2人は互いをちゃんと見ていた」
「現実にしろ空想にしろ、30歳の朝彦と30歳の夜彦は和解をして、前を向くことができている話だった」
「私は朝彦に感情移入をした。理解できるし、普通の人が普通に生きていた」
「一緒に、同じ時間を歩む2人だった」
「だからハッピーな話だと思った」  
聞いたときは目からうろこがぼろぼろ落ちた。そのまま目ん玉まで落ちるんじゃないかと思った。
 
想像していたよりも私たちはみんなずっと他者で、だから一緒に生きていける。

 

***
たった1つのいのちが燃えている。
ありふれて、特別じゃない、たったひとつ。
教師は憎むほどの存在ではなくなったこと。
勉強を楽しめるようになったこと。
自分のダメさと折り合いをつけること。
優しくなれるものに囲まれること。
正しさではなく思いやりで世界と向き合うこと。
夜だけでなく、朝に優しくなれたこと。
「未来は悪くない」のではなく、未来を信じてやること。
たったひとつの過去を抱いてやること。

生きていくとは、やっぱり怖いこと。
死は怖いと言う真っすぐさが、生きたいと思ってしまうふたりが、愛おしい。
だからやっぱり、私はこの舞台が好きだ。


『夜彦は父に愛されたかったんだろうな』と、初演を見たときも、再演を見た今もよく思う。愛されてみたかったよな。
結局私はずっと私のままだ。父の死を大したことないとしかブログに書けなかった私も私だし、同時に朝彦の気持ちが分かるような私にもなってゆく。
30歳の夜彦は今の自分を「普通だ」と語った。
「なんとか生きている」 なんとか。日々に悩み、明け暮れ、もがいて、時に休んで、なんとか。
みんな生きている。みんな健やかになる。 そう望んでいる。
本当にそうなのか分からないことも信じられるような自分になった。人生はなんとかやっていける。だから大丈夫だよとやはり無責任な言葉が浮かぶけど、17の私はきっと許してくれないだろうな。でもやっぱり生きていたほうがいいと思うよ。まだ納得させられる言葉がないけど、生きていてほしいと祈っているよ。