ずっと待っていた朝と夜がくる。

※ネタバレはありません。

 

 

・朝彦と夜彦に見に行く人へ

ありがとう。私が書いたブログ(過去のもの)は読まないでぜひネタバレなしで見てください。

 

・朝彦と夜彦を見に行くか迷ってる人へ

真夏日、17歳。果たせなかった"親友"との約束。舞台にはたったふたり。ひとりが自分の話を始め、もうひとりがやってくる。

ピンとくる人は見てください。少しネタバレだけどこのツイートにピンとくる人は見てください。見た人間に向けたネタバレ感想ですが私のブログも読んでみてください(でも出来れば読まないでください)

 

 

 


いのちみたいに大切な舞台があった。あの舞台を見たのは四年前。幼く、自意識過剰で何にも成れずネガティブの海の中で唄うあの日私は21歳だった。あれから四年経つ。四年経ったら、いのちが再演されることとなった。

亡霊のように「朝彦と夜彦」を定期的に検索していた。何度も見るアカウントの人がジャニヲタになっていたことを知り、思わず声を掛けた。私も当時あなたのツイートを見てましたと言われた。嬉しかった。
再演の望みはもしかしたらないのかもしれないという疑念を抱いたときは、Twitterで「朝彦と夜彦」の戯曲を読んでくれと喚いた。なんでもいいから人が興味を持ちそうなことを言い続けた。そしたら3人買ってくれた。

でも本当はね、「戯曲を読んでほしい」というのを言うのに最初のころは躊躇っていた。本棚を見られるのが恥ずかしいのと同じ心理で、私のいのちを見せる気恥しさ、いのちをぞんざいにされたくないという勝手な気持ちがあった。

 

 

 

舞台は残酷だ。生きている人間が演じている。
生きている人間の声は本当に怖い。それに気付いたのは最近だった。私の妹は大学の演劇サークルに所属している。彼女が書いた戯曲や演出は、なかなかに完成度が高いもので毎年楽しみにしていた。
ついに、彼女の卒業公演となった冬。宗教と恋愛をテーマにした舞台は間違いなく今まで書いた話の中で一番面白いものだった。そのため脚本をぜひ送ってほしいと頼み、貰ったものを読んで驚く。脚本が本当につまらなかった。いや、面白くはあるけどあのとき見た感動には圧倒的に劣っていた。
人間が、うっとりと恋を語る声。叫び出す声。傲慢な望みを伝える声。彼女の書いた脚本はこれを生かすものたちだったのだ。人間の声はそれだけ恐ろしい。簡単に痛ましくなれる。

夜彦の声は痛かった。未だに耳に残る声がある。空間に閃光が走って、逃げ出したくなった。

 

あの日、私はとんでもなく泣いた。後にも先にも、あんなふうにフィクションのために泣けた日はない。誰かが疎ましかったわけでない。誰かを愛おしく思ったわけでもない。ただ苦しかった。ハンカチを忘れた私は赤いショート丈のダッフルコートの袖を濡らした。余計な音を立てたくなくて全てを垂れ流した。どうしてこんな日に限ってハンカチをと今でも後悔している。


いのちが再演される。
17歳の子供はあの日傲慢に見えた。30歳の大人は何もかも知っているのかと思っていた。きっと、次に見たら変化するだろう。舞台というのは見るときの心情と状況で簡単に形を変えてゆく。21歳の私は自分のことを幼いだなんて思ってなかったけど大人でもないと思っていた。今の私から見てみれば、明けない不安の中でもがくがむしゃらは眩しいし、同時に疎ましい。
あの日とはまた違う自分で見られる「朝彦と夜彦」が本当に楽しみ。あと4チームもあるんだって。ウケますね。きっと全部違う色を持つのだろう。楽しみだ。