揺らがないこと/揺れること
お気持ち表明という言葉が嫌いだ。
この言葉で感情を揶揄する行為が嫌だったし、謙遜に使うのも違うのではないか。そもそも自分の感情を揶揄したりするなよとも思う。感情はひとりだけで抱くことを許された不可侵の部分で、言葉にする責任は、自分や誰かの傷を癒す。
新型コロナウイルスでエンタメ業界が影響を受けて、もしくはそれがドミノを倒すきっかけになって日々状況が変わる中、自分の今の気持ち---いつか忘れてく一瞬のような---を綴っておきたいというのは、ずっとあった。しかしそれはやっぱり「お気持ち表明」とするしかないような粗末なものなのではないだろうか。今、私が人に見せられる気持ちってなんだろうな、と思っていたら、気付けば8月が終わろうとしている。
最近のトピックスにはどうしても、好きなグループからメンバーが抜けたというものがある。あの時、今後自分はこうなるだろうと思ったことはだいたい予想どおりだった。
手越くんの活動は今までと変わり積極的に追わなくなった。ただ情報をシャットダウンするほどのことではなく、アクセスしやすいものは時折見る。そして自担の番組やラジオは追って、自担じゃなくてもNEWSのメンバーが出ている番組は追ってしまう。…この行為の境目は一体どこにあるんだろう?
うっかりで、あるいは興味がなくて見逃すものもある。〇〇をしなければファンではないといったような言葉はもう古いような気がするし、あるいは、愛は行動で証明できると信じている人間のために存在してるようにも思う。
好きだと思う気持ちや、自分がファンだと思える気持ちは、私の中に確かに存在している。他者に証明する必要がないほど私の中にNEWSがいる。
だから、私は揺らがないことにした。
悪意ある言葉に流されないように。バラエティーに踊らされないように。ジタバタして溺れてしまわないように力を抜くことにした。
傷つけられないように心を柔らかくしすぎない。でも攻撃的になってしまわないように心を硬くしすぎない。
少し前に「枠とピース」についての話をTwitterでした。
以前からジャニーズグループに感じてた概念なのだが、グループが枠で、メンバーはピースだとする。デビューしたてのときは枠もピースも輪郭が曖昧だ。
ピース(メンバー)はその曖昧な枠の中で相対的に形を作ってく。他のメンバーとキャラクターが分かれるように得意分野を分けていったり、その場所での立ち位置を段々と明確にして、ひとつだけの形になる。それと同じくらい時間をかけてグループという枠の形も決まっていく。それは本人や環境、あるいはファンが見出し、グループの強みや色がだんだんと濃くなる。
そういう中で誰かがいなくなると、枠からひとつピースが消えてしまった状態だから、どうやってもいない人に気づいてしまうし、それが気になってしまう。
だからまた長い時間をかけて枠の形を変化させ、ピースも相対的に変化していく。「空いてる」と思った場所には、ゆっくり「いる人」が流れ込んでゆく。地形が変化してゆくように、新しい枠と新しいピースが出来上がっていく。
くるべきときは、いつかくる。
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そうやって自分のスタンスを決め決意のようなものをしたのだが、仕事が上手くいかなくなりそっちで精神がやられてしまって、いろいろとそれどころではなくなってしまった。そもそも精神が健康じゃなければエンタメを楽しめなくなるのは経験上知っていて精神の世話をすることでいっぱいいっぱいになった。揺らがないとか強いことを言いながら、結局別方向の自分の情けなさに直面してしまい、ままならなさに憂鬱になる。頑張るってなんなのだろう。想像できる選択肢の中から選ばなければいけないのに、何を選ぶべきかすら分からない。当事者である自分が一番問題を知ってるはずなのに、不安のせいでとにかく全部が怖くなる…とめちゃくちゃネガティブモードに入ったのでとりあえず積極的に凹みまくって、最近なんとか調子を取り戻したところです。
とある若手俳優に応援してる友人は、あるとき「彼を応援しはじめてから、なんとなく情けない姿を見せたくないって思うようになって、いろんなことを頑張るようになった」と言った。頑張っている人をできるだけ胸を張れる自分で応援したいと思ってしまう、とのことだった。
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と、まあ、結局一番言いたかったのは「揺らがないことにした」ということで、それでも揺らぐことは別角度からくるときはくるし、自分の世話は自分で見たり他者に頼ったりしながら頑張っている。そういったことをしたためていたら、昨日NEWSが新曲を歌った。
「カナリヤ」
24時間テレビでNEWSが歌うことを当日の午前に知り、直前に「新しい曲」とさらっと言い、完全新曲なのか未音源化の曲なのか、はたまた三人では初披露という意味なのか…と思ったらナチュラルに本当に完全新曲を歌った。
飛び方を忘れた鳥が、空を見上げて何かを待っている。理想を掲げ、傷を背負っていくカナリヤは「大丈夫」と歌っている…
歌詞は、NEWSサッカーテーマソングのBLUE・SPIRIT・SUPERSTARを彷彿させ、その流れを汲んでいるように思う。(しかし現時点で作詞作曲は発表されていない)
NEWSの状況と、そして自分の状況とリンクして私の中はゆっくり大きなものでかき回される。
歌われる情景が、零れる感情が、幾つもの過去が落ちてきて、波紋のように揺れてゆく。
好きだ、と思う。
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今、私を取り巻く事実を、あるいはそれにまつわることを、誰かが---空想上の敵が---不幸と称そうとする。
予想していた状況と抱くだろうと思った感情が、何度かそのとおりやってきた。こんなに強い感情であったことは予想外だったけども。
幸福は幸福のまま、寂しいものは寂しいまま、好きなものは好きなまま、変に揺らがしたりしない。
心の波を揺らすのは、好きと想うときでありたい。そういう自分になりたい。