私と悪友の話~読書感想文『浪費図鑑』『悪友vol.1』~


 

 

「正直追い課金すれば出るじゃんって思ったけど、そういう考えはよくないね」
飲みの席で、「FGOで爆死する女」を読んだ感想を彼女はそう言った。*1
 彼女と私は悪友だ。
 
 
 

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昔、別の2.5次元舞台にはまっている人にこの公演いくつ入っているの? と聞かれ、正直に答えたことがある。多い数ではなかったし、上には上がいることをよく知っていたので深く考えていなかった。しかしその人は引いた。引くなら聞くんじゃねえよと反射的に思ってしまったが彼女が悪いわけでない。いやでも引かないでほしかった、せめて。
一時期、趣味にお金をいくら掛けるのが正常なのだろうと悩み、インターネットに答えを求めたところ、「収入の10%はキケン!」と書かれていたときは軽く切れてから深く考えることをやめた。
 この本を読めばその答えが分かるかと思ったが、そんなこともなかった。むしろ世の中にお金をかけられるジャンルの多さに驚いたし、それぞれの独特な文化も存在していた。
 

『浪費図鑑』ではトップバッター、『悪友vol.1』にも掲載されている「あんスタで浪費する女」はめちゃくちゃ面白かった。私はソシャゲ問わずゲームをプレイするのが苦手なのであんスタも数ヶ月が限界だったのだが、そもそもゲームとしては楽しくないとばっさり切った上で魅力を語る清々しさ。課金マウンティングはしんどい。でもそれ以上がある。
若手俳優で浪費する女」もときめきを感じてしまった。自分が一番近いジャンルだからなのかもしれない。この送ったプレゼントを着た着ない話はよく目にする。若手俳優のブログには誰のプレゼントかなんて書いてない。でも私だけには分かる。酔おうと想えばいくらでも酔えるその感覚に初めて羨ましさを感じた。よく目にするからこそ付きまとうネガティブなものを知っているんだけどこの文章にはそれが全くない。ドラマみたいだ。
「EXOで浪費する女」EXOは名前だけ知っていた。K-POPは自分が知る限りほかのアイドル文化とはまた違う熱のイメージがあり、かける金額とその危うさはすごい。というかイメージしてるK-POP文化とそのファンそのままではあったがさらに大盛りでこられた感じ。ラストで語っている『「事件」が起きないと物語はつまらないのだ』のエネルギーは強烈だ。世の中にはストレスなく消費したい人とどうしても消費する行為にストレスすらも伴いたい人間がいるのだが、彼女は後者で、それはそのまま力強い文章になっていた。
 以上の3つは親近感を持って読んでいたが、「占いで浪費する女」はまた別の面白さだった。元になった文章を読んだというか、書いている人物に粗方の見当はついていたが、元の文章にはここまで細かな金額が書いてなかった。もともと興味があったとはいえ「ネタ作りに」というノリで出来るのか? しかし、実はこの2冊を読んで私が一番影響されたのはこの占いというジャンルだ。失恋した私は今しかないなと占いに行ったし、なんなら今は占うほうの勉強している。彼女は「必要経費」であり純粋な「エンタメ」でもあったと語っているが本当にそうだ。人生でショックな出来事があったとき他人が自分の話をきちんと聞いてくれて、しかもアドバイスまでくれる占いは本当にめちゃくちゃ医療。保険適用してほしい。しかも人に笑って話せるんで最高だった。つらくて心療内科に行くか考えた時期でもあったが近場は平日しかやってないし、やはり勇気もいる。この文章を読んでいたのでとりあえず先に占いへ行こう、心療内科はそのあとでいいやと思えたし、気をつければそんなに金かからない。その上楽しい!ってノリで友人に占いを勧めたが「絶対にハマるからやめとく」と言われた。絶対に壺を買わない人間はいないが、高確率で壺を買う行動に出る人間はいる。大事なリスクマネジメントだ。
「触ってほしい一心で浪費する女」今までは対象物がありそれをお金をかけていた人の話だが、彼女は先に欲望(文字通り触ってほしい)はあるが、叶える手段が分からないので論理的に、冷静に模索するところからスタートする。紆余曲折を経て、コスパのよく(いいのか?)欲望を叶えられる一番近い現実的な手段を発見する。しかも欲望が欲望なので定期的に通う。浪費図鑑第1章のラストにぴったりだ。もしかしたら今後、まだ私が気付いていない、叶えたい欲望が明確に生まれたときそこに寄り添って探し出す道もあるんだと思える、素敵な文章だった。
 
様々なケースを読みながら、私は自分が思っていたより能動的に自分の欲望を叶える人の話が好きなんだなと思った。母がジャニヲタで、溢れる多幸感をずっと見てきたからかもしれない。余談だが母は近藤真彦堂本光一松本潤、伊野尾革命のときに伊野尾くんに降りるかと思われたが、結局光一くんに戻り、Endless SHOCK*2の2階最前なら〇万まで出せるわと言われたこともある。カエルの子はカエルだ。ジャニヲタの前はシャ乱Q長州力吉田拓郎にハマっていた時期もあるらしいし、たぶんまだいると思う。
 
巻末にはアンケート結果と対談が載っているが、『悪友』はひえ~!と言いたくなる、ないしょの~という題にふさわしいもの、『浪費図鑑』は好きなことにお金をかけることって素晴らしいな…と思えるものと対照的だった。でもこの2つは表裏一体だ。好きなジャンルに影響された職に就いている人もいっぱい知っているし、好きな漫画のオンリーイベントを借金してまで主催した友人もいる。アンケートも自分が今後使う金額についての参考になるかと思ったが、いざ読んでみるとこれだけあるジャンルの平均値を知ったところでそこに合わせられるわけでもない。でも5人に1人は貯金なしというのは学びになりました。意外と多いね、貯金している人。
昔はテニミュに何公演入るのが一番楽しめるんだろうと考えたこともあったが、最近はまじで始まらなきゃ分からないし始まっても分からないなと思えるようになってきた。ある程度同じジャンルにいると分からないことが分かるようになる。
 

趣味に掛けた金額の話をしないのは大人であるという理由もあるが、なんというか、ただ面倒くさい。あまりお金を掛けない人からは「そんなにお金使ってて大丈夫?」と言われる可能性があるので金額が連想できてしまう話は気軽にしない。心から善意の言葉であるなら余計。自分がよく分かってる。だからって同ジャンルの人とも気軽に話せるわけではない。お金を使ったという話はそのまま「使った金額マウンティング」に巻き込まれ、赤信号みんなで渡れれば怖くないと下手すれば身の丈に合わない金額を使いすぎてしまったり、逆に「そんなにお金を使えないわマウンティング」に巻き込まれることもある。これはもっと最悪だ。そういうものと板挟みになることはただひたすらに面倒くさい。
冒頭に書いた悪友とは長い友人だが、自分が使った金額やクレジットカード等の話をするようになったのは最近だ。ある日、実はさあ、なんて話し始めたら彼女は一切の否定もなく「分かるわ」の一言で済ませたときの喜びは尋常でなかった。
 
『浪費図鑑』の感想を2人で語る最中、前述した「そういう考えは良くないね」という彼女のセリフの重さったらなかった。彼女もFGO推しを引くためかなりの額を課金した。その額を知っている私も「追い課金すれば」という感情は一瞬、確かに巡った。でも他人が掛けた金額に口を出しはじめたら、今度は自分ががんじがらめになってしまう。みんなどこかでこれ以上は使うのはやめようと諦める額がある。それは人それぞれだ。だからそんなネガティブなものは持ち込まない。私は私の好きを買う。


彼女とは掛けたお金のことを全く隠さず一緒に酒を飲む。これ買おうか迷ってるの、なんて話を始めたら私に話したってことは背中押されんの待ってるんでしょ?と勢いよく押す。私たちは否定しない。私たちを肯定できるのはやっぱり私たちだけで、ひたすら多くの「好き」について語る。

だから私と彼女は悪友だ。*3*4
 
 
 
 
 

*1:FGOで爆死する女 | 青柳美帆子 | note

*2:毎年行われている光一くん主演の舞台。光一くんがフライングして2階に着地するパフォーマンスがある

*3:悪友「このガウェインには(6桁)円の価値があります」と携帯の画面を見せられた。

*4:自分の浪費話を書く前に力尽きたので追記するかも

舞台感想『口紅』 

舞台口紅 11/12 13:00~
気分が悪い。等しくみんな駄目で、憎くて、正しくない。だからせめて自分の正しさは持って生きているのに、それは誰にでも通用するものでもない。
でもそれが人間だよなと嫌でも感じさせてくれる、いい舞台でした。
あと今回は深読みが過ぎているのであんまり真に受けないでほしい。


あらすじ(HPより)

とあるスイミングクラブの日常。舞台はインストラクターたちが集うスタッフ専用の2階控室。下には小学生の生徒たちが泳ぐプールが見下ろせる。4人のインストラクター、中島保(石田隼)、春日雄介(瀬尾卓也)、下平春道(村田恒)、紅一点の江上早苗(青野楓)。スイミングクラブを経営する金子和人(酒向芳)と新しく配属されたマネージャーの阿部聖子(ふじわらみほ)。中嶋と中学の時の同級生で、現在息子をこのクラブに通わせている前田珠里(長谷川るみ)。高校教師だった春日の元教え子で女子高生の関口志保(緒方もも)。 何気ない日常を過ごしている8人の人たち。少なからず吹いていた闇の風が、ある出来事をきっかけに大きく吹き始める。「日常の中の凶器」を武器にし始めることが「死」というものを呼び寄せ始める。笑ったり、嘆いたり、なすり付けたり、踏み込まれたり・・・。 牧田明宏脚本による8人の絡み。和田憲明演出による8人の縺れ。普通に過ごしている普通の人たちが織り成す人間模様は、ご観劇いただくお客様のすぐ隣にもあることかもしれません。

 

今回パンフレットがない分、座席に口紅と出演者の紹介のあるフライヤー?がありそちらで演出の和田さんの文章載っていました。なんでもない紹介にもとれるんだけど、この物語の核を表しているようでとても好きです。できればこっちもHPに載せてほしかった…

(中略)ではなぜ『口紅』なのか?実はいまだに謎なのです。ただ私は間違いなく、この芝居の題名は『口紅』であるべきだ。そう思って創っています。

 

びっくりするぐらいみんなが帰ってきたあとに鬱状態だったり、二度と見たくないとか、人と話したくない…とか言っていたので期待値がとても高まっていたのですが、本当に裏切られなかった。あの場の空気に窒息するような苦しさ。口紅は本当に作品としての良さと気分が悪くなる部分が表裏一体なので貶すような言葉がつい出てくるんですが全部に「(褒めてる)」が付いていると思って読んでください。本当にどんな頭してたらこんな作品作れるんだよ。

 

正直えげつない情報量の会話劇だった。私たちもこんなに普段から話していたっけ?と思うくらいの言葉、言葉、言葉。しかもリアル。居心地のいい間から、どうしようもない沈黙まで。
なんなら冒頭のほうに2つの会話が同時進行に行われている。私はその会話をできるだけ聞き逃さないように頑張ったのですが、そんなに注意深く聞かなくても分かる情報があると思った。その場面は前田と中嶋、江上と春日の会話なのですが、江上が遠まわしに前田を馬鹿にしているように感じた。会話を聞かなくとも、もちろん会話自体ちゃんと書かれているとは思うのですが、何より伝わってくるのが言葉でなく「誰が誰をどう見ているか」という雰囲気。目の前にいる人間を伝わらないと思いながら馬鹿にしている。それが伝わってくる。

ゾッとしたのはこの「伝わってくる感覚」で、私たちも普段ああいうふうに普通に話しながらどんなふうに相手を見ているかってバレバレなのかもしれない。本人に伝わらなくても第三者は分かってるのかもしれない。

この長谷川るみさん演じる前田珠里。どっかで見たことある顔だ…と思ったら『ガールズトーク〜十人のシスターたち〜』の北斗じゃないですか…しかも調べたら元アイドリング!!!の方なんですね…びっくりした…
話はそれましたが前田、本当に良かった。昔やんちゃしていたという少しの名残や、空気を無意識にわざと読まない感じ。そういう人間に逆らえない人はいるが、前田自身はそれに気づけない。だからどんなに遠回りに控室から出て行ってくださいと言っても前田は鈍感で傲慢なので出ていかない。

村田恒さん演じる下平春道。(村田さんって猫ひたの人なんだね!)ブーメランの水着で登場してブーメランの水着で基本いるから最初びっくりしたけどだんだん慣れました。でも着たほうがよくない? 

下平は友人から気持ち良い人間だと言われる人なんだろうなと思った。相性の悪い人間にとっては居心地が悪いけど。はっきりしているけど立派じゃないし、立派じゃないことに正直だ。二日酔いしたから担当代わって、というのも微妙な状況なのにプールの清掃があるから帰れないことをあんなにも素直に怒れることにびっくりした。たぶん仲のいい友人なら「じゃあ今度は俺が二日酔いしたら頼むな」で済むことでも、同じ価値観でない人間を責めるからどうしようもない。だから下平のそういうところを責める人もいる。今回はそれが中嶋だった。

中嶋がいきなり下平にキレたとき、中嶋はたぶん江上さんのことが好きなんじゃないかなと感じた。だから得意でないけんかを仕掛けてしまったのではないかな、とも。まあこれは答えが出てないので確かめようがないけど。

下平を見ていると人間って本当にじゃんけんみたいなものだなというのを一番感じた。阿部(マネージャー)に言い方考えたほうがいいですよ、と言えるのは下平しかいない。でも違う場面ではしっかりと中島に怒られている。どこであろうと最強な人はいない。
そして下平の中学?の同級生であるイイヅカさんなんですけど、このエピソードが絶妙…
この舞台では控室にいない登場人物だけでなく、登場人物8人に含まれない人間も言葉のみで出てきます。イイヅカさんはテレビで話題になっている、国境なき医師団の1人だった。私たちが芸能人の話を学校でするのと同じで、会ったことない人をまるで友人かのように口々に話題にする。すごくいいんだよな〜外の世界に広がっている感じがするのにあの控室はどこまでも閉鎖的な空気が充満している。

 

私たち観客はもはや控室の亡霊と呼ぶに相応しいレベルで誰が不在でも誰が1人でもあの控室しか見せてくれない。窓の奥に広がっているであろう1階にあるプールは見えない。そこで前田の息子、カズキが事故に遭う、そのときに前田の叫び「だってカズキはもっと頭が大きいんですよ!」が悲痛で、苦しかった。息子の事故を真正面から向き合えず、どうでもいいことを願うように叫ぶのが痛々しい。どんな頭してるならこんな脚本書けるんだよ…

そうして前田は1つ1つなぜ、を問いかけにまたこの控室に戻ってきます。なぜ息子は死んだんですか。こういうのはよくあることなんですか。それに答えは返ってこない。というか人生ではっきりとした原因がある出来事のほうが少なくのに、前田は納得をしたいからずっと問いかける。でも誰も前田を納得させることはできない。納得できる事実がないことを前田に伝えるのはあまりにも酷だから、みんな黙ってゆく。

口紅は他にも人が死ぬ。ひとりは春日の元教え子の関口。彼女はたぶん自殺だ。それが描かれている場面はないけど春日が電話をしている会話だけで、ああ死んだのか、と納得させられる。その予兆ははっきりあった。
この舞台が終わったあと外で伏線について話している方がいて、関口が最後に春日に「さようなら」と言ったときに死ぬんだと分かったんだよー!あれは分かりやすいよなー!普通にさようならなんて言わねえもん!と語っているのを聞いた。確かにあの「さようなら」は印象的だったし、私もあの時にこの子は自殺するだろうと分かった。関口は意図して「さようなら」と言ったんだと思う。
でも「さようなら」と現実に言われたとしたら気付かないだろうなと思った。これは物語だから伏線がある。じゃあそれが現実だったら?現実に死のうとして、さようならを選んで、その人間が死ぬことを予測できるかと言われたら自信が無い、というか見落とすと思う。春日は関口の様々を見落としているけれどそれを責められるほど、私だって現実の伏線にきっと気が付くことはできないと思う。そうやって考えたら現実のほうがずっと、たくさんの伏線ばかりの世界だ。

イイヅカさんが海外で地雷を踏んで死んだ報道があったあと、下平はこの物語でイイヅカに一番近い人物なのに遠い世界の出来事のように笑うし、春日はまるで近しい友人のようにそれを責める。残酷だけど中学の友人というだけでは泣けないし悲しい感情にすらなれない。でも悲しむ態度が求められるし、下平は正直だからそんな態度をしない。春日は春日でずっと正しくいようとするけど、その正しさで関口も死んでいった。でも関口の死は別に春日のせいじゃない。でも関口は死んでいった。

前田はプールの運営側を責めるんだけど、対応するマネージャーの阿部さんは見ていてしんどかった。この物語の中で一番私自身と相性が悪そうな人間にカテゴライズしたし、一番「いそう」と感じた。
下平に言い方があるでしょう?って言われてもきっと聞けない、気付かない。だから他人は呆れて愛想をつかせるんだよな。なんで私だったんだろう、私が悪いみたいじゃないですか。そうだよ、そうじゃないよ。両方言える。でも彼女の答えは1つで、ただそれを伝えるほど好きでもないし優しくもないから誰も何も言わない。呆れて周りが去ることは当人は可哀想だけど仕方がない。誰も他人のために生きれない。
何がしんどいって阿部さんは間違ってるけど正論言うんだよ。それ以外全部間違ってるのに言ってることは正論なんだよ………そういう人間と議論するのは疲れるから手のつけようがない…

 

あの場には仕事つながりとか学校の関係者とか、自ら望んで構成された人間じゃないことがよく出来すぎている…好きで一緒にいるわけでもないし、好きで一緒にいたい人間も相手はそう思ってなかったり。そんなこと言っている場合じゃない、そんなことを言いたいわけじゃない。伝えたい相手以外にはみんな意図が伝わっているのに当の本人が分かっていない気持ち悪さ。

ごった煮すぎてある意味で影の薄なってしまってる阿部さんの上司、金子は逃げる大人で、周りから当然に陰口を言われる。心の中で誰かのお父さんなんだろうなと思った。家では立派なお父さんなんだろうな、きっとこんな姿を知らないんだろうな、と物語に1つも出てこない息子娘を考えてしまった。この舞台ではもう一つの顔みたいなものが出てこない人間なのに、そういう背景がなんとなく想像できた。

この舞台の登場人物は丁寧に説明されたわけではないのにちゃんと各々が過去を持った人間だった。思ってたことなんか簡単に変わっていくし、今しか生きれないのに過去がある。ちゃんと過去は納得したり忘れたりしながら生きてる。でもそういう、今自分が持っている考えを、反射的な態度で求められるしんどさがえげつない。あとから考えて後悔したり、なんであのときああ言ってしまったのかって誰もが持つ感情なのにそんなのみんな知らないじゃないですか。「その場でどんな態度で、なんて言ったか」だけが評価になるわけじゃん。なんとも思ってないことでも面白くないことでも、何かしらのリアクションをしなきゃいけない日常のしんどさを嫌でも思い出す。本当に勘弁してほしい。そんな正しく毎日生きれないよ。

 

ずぶずぶと足元から沈んでいきそうな恐怖の中、やっとラストシーンにゆく。
ラストは多少予想がついたし、ついたからこそ待ってた。気持ちよくなりたかった。その予想とは手首を切った中嶋のクラスメイトは前田にいじめられて自殺したんだろうなということ。そして前田の息子はいじめられていて、因果応報だと中嶋に責めてほしかった。
後者は外れていた。いじめっ子でも、いじめられっ子でもなかった。もちろん言及がないだけで、そうだったのかもしれない。
そしてもうひとつ違っていた。中嶋は「俺は見てただけだけど」「あの時泣けなかったのに…」と言った。その場ではするするとこの言葉はすり抜けていったが、帰って感想を書きながらびっくりするほど私は中嶋に怒っていた。
いっそいじめられていたのが中嶋なら違ったかもしれない。全然、全然気持ちよくなかった。むしろもっと居心地が悪くなった。ぶん殴っておまえも殺した1人だと言ってやりたい。あのときは泣けなかった、なんて当然に興味がなかったんじゃないの?自分だって何も行動を起こしてないじゃないか。もちろんアイザワさんと特別親しかったのかもしれない。けど自分の悪さに気付けない気分の悪さ。しかも息子とアイザワさんの死は関係ない。もちろん責めたくなる気持ちは分かるけど息子を亡くした母親にいう言葉か?中嶋は最後までずっと中学の時間だった。息子の死には言及しないんだね。


まあ~~~この微妙な予想との違いがまあ最悪でした。最悪だけど作品として納得した。
前田が何を思ってクラス会に呼んでと笑ったのかわからない、彼女にとって償いもできないくらいの過去になってしまったのかな。
本当に、自殺に犯人なんか存在しない。関口もアイザワさんも阿部の友人も、誰のせいにもできない。

 

ラストシーンは中嶋がサンドウィッチをひたすらに食べるだけのシーンだった。感想ツイート漁るとみんながいろいろ考えてて、私は特に深く考えずに見ていたのですけど、あとになって食べるって生きるのに一番近い行為だなと、中嶋は生きてく人間なんだよなとふと思いました。

 

 

 

 

 

 

よくできてるな~と思ったのはいくつもあったんだけど、1つは1人でいる時間。何もしない人、歌を歌う人、1人しりとり。ぞっとするような、きっとすぐに忘れる時間とそれを描く丁寧さ。

また二三度同じことを聞いたり言ったりする。自分にとっては初めてでも何度も同じことを聞かれたらたまらない。でも聞いた側は1回だからその罪悪に気づかない。

そして今起こった面白い話を笑いながら、さっきねって話すやつが非常に私の痛いところを突かれました。面白い出来事ってその場があるから面白いだけで後で話すときには1ミリも面白くない。

 

赤坂RED/THEATERは朝彦と夜彦ぶりなんだけど、もうあの場所が凄まじく両方ぴったりですね…特に今回は口紅で赤の連想できることも、地下で電波の届かない暗い空間なのも作品にぴったりでした。見終えて地上に戻るために階段を上がるときにやっと空気が変わる感じが心地よかった。この劇場では暗い演劇が見たい。
と思ってたけど石田くんまたあそこで舞台やるの?!2~3年ぐらい置いてやれよ苦しいよ!!!!!!!いや舞台で苦しむのは正しいと思うけど苦しいよ!次の作品も苦しいとも限らないけども!!!!!!!!

 

劇場に入って美術を見たとき、謎の既視感があり、なんでだろ〜と思ったけど演出が「回転する夜」と同じ和田さんでいろんなことに納得した。窓の向こうの空間が回転〜のときもあって外への広がりを感じたり、あの作り込まれた細かい美術等がすごく素敵でした…!
そして会話の間の心地よさや作り込まれた気持ち悪さが回転〜のときもあったので、口紅はそりゃ恐ろしいわけだよ…回転~は外の空間にいけないところから出てゆくストーリーだから救いあるけど口紅は外と干渉しながらあの場で生きてゆく物語だから…苦しいわけだ…………

 

 


口紅のタイトルについて考察読むのすごく好きなのですが、結局和田さんの言葉通りなぜかはずっと分からなくて、でも「口紅」じゃなくちゃいけないんですよね。唇でも化粧でもマスカラでもダメで、口紅。
そんなとき偶然マッチの「愚か者」の歌詞を読んでたんだけど、このワンフレーズがびっくりするほどしっくりきたから私の口紅の考察はこれです。

ルージュを引けば 偽りだけが いつも真実 それが人生

 


これだけ長くいろいろ書きながらなんとなく江上さんに触れられないところがあった。登場人物が死んだ女子高生の関口以外、人の駄目なことろを凝縮したようなキャラクターなんですけどそれと同じような感覚では江上さんに触れられなかった。江上さんはそういう駄目なところってどこだったのだろう。
と、うんうん数日ぐらい考えてやっと気付いたのだけどさ、もしかしてさ、江上さんも関口同様に自殺に向かうんですか?
そうでないと思いつつ、彼女は恋人との電話で「結婚」の言葉は出てなかった。あの電話の内容は間違いなく結婚か、別れの二択だった。もしあの電話が別れのほうだったら。そして私は中嶋は江上のことを好きだと思っていた。もしかしてアイザワさんも中学生のとき中嶋が好きだった人なんじゃないか?そしてその時と同様に江上も?

 

冒頭に書いた深読みは以上です。あそこに生きてたら江上の死を止められような人間でいたいけど、きっと無理なんだろう。後悔は誰もがするのに、後悔は人に伝わらない。苦しい舞台でした。

 

 

3rd観月はじめに恋をした日々。


自分の感情を整理するためだけに書いた雑記です。*1


ドリームライブ2016DVDが無事発売されました。私はDVDが発売されるまでがドリームライブだと思っているので、まだ卒業なんか来ないって、必死に思っていた。素直に言えばDVDが発売されることが怖かった。
でも氷帝公演は始まったし8月25日はきた。

 
ドリライのDVDを友達と見た帰り道、ああ、本当に観月は魅力的だった。どうして、と考えてふと気づいた。
なんだ、私、本当に観月に恋をしてたんだ。
こんな簡単なことで、いまさらすぎて、思わず笑ってしまった。

小学生のときの私はとあるアイドルにいわゆるガチ恋をした。*2本当に苦しくて、もう二度とこんな感情は持たない、と心に決めた。それは教訓として生きている。恋に落ちそうになったら無意識に防衛本能が働き、見ないようにしたり、別のジャンルと同時並行にして、心を分散させたり。
それが10年以上ぶりに、恋に落ちてしまっていた。しかもそのことに気付いたのは卒業した公演が収録しているDVDを見た日だった。かっこよくて、きれいで、勝ちに怖いくらい執着していて、でもちょっと抜けてて、絆を知っているのに、利用をできるとまで思っているのに自分は絆を持とうとしなくて、でもやっとルドルフで観月は絆を知って。
防衛本能なんて無駄で、初めて見たあの日からもう恋に落ちていて、それからすべての原動力は恋だった。
少し前、友人にどうして観月が好きなの?って聞かれた。いろんな言葉を尽くしても伝わらず、自分でもなぜか分からず、夜一人でベッドで少し泣いた。
ルドルフのチームライブが卒業式とかぶってしまい、どうしようもなくなった結果、0泊3日という強硬手段で京都と東京を往復した。
自分の誕生日の前日、チムライの宮城くんのお悩み相談が採用され、いろんな祝福を受け、帰りの居酒屋で本当に幸せだと言いながら馬鹿みたいに泣いた。

恋してた日々。書けないぐらいたくさんある。
毎日お祭りみたいだった。ルドルフは公演期間が空くことがなく、どんどんと次につながっていった。休む暇なんてなかった。だから余計に楽しく、お別れの話題なんか遠いところにあって、次は、なんて話をしていた。
でもドリライの最後のあいさつ「○○役を演じた××でした」という言葉はキャラという魔法を解く呪文だった。
テニミュの好きだけど悪い癖だなと思う。魔法は自分で終わらさなきゃいけない。
観月としてあいさつをしてから、観月の魔法を解いた宮城くんは瞬間ぼろぼろと泣いた。愛しくて苦しくて、寂しかった。
横浜からの帰り道、心は空っぽだった。どんな感情を持てばいいのかすらわからなかった。あらためて考えてみれば、それも防衛本能なのだろう。

 

今はただひたすらに苦しい。受け入れられなかった、無視し続けていた卒業はもうDVDになった。感情を整理すべきときが来てしまった。
そもそも卒業というものは私の中でネガティブじゃないしこれからもそうだ。新しいスタートで、卒業はしてしまうけれど所属していた過去がなくなるわけじゃない。むしろ青春をパッケージして、きれいに終わらせる。テニミュの魅力の1つで、そこが好きな人もたくさんいる。私ももれなくその一人だ。きっとキャストも頑張りながら感情を整理しただろうし、ファンもそうだろうし、氷帝公演は始まってる。
終わらせられていないのは私だ。
私はテニミュが好きだから、いつまでも過去公演に縛られず、今やっている公演を全力で楽しみたい。
でも3rd聖ルドルフが好きで、観月はじめが好きで、ずるずる引きずって、どうしていいかわからない。ずっと前したガチ恋をどう対処したかなんて忘れた。

 

でも少なくとも小学生よりは成長して、対処法なんてきっとなくて、これは時間が解決するしかないだろうということはなんとなく知っている。
いつかそんなこともあったねなんて、苦しさを伴わず笑う日が来る。
もしかしたら別の人にまた恋に落ちているかもしれない。それは4thの観月かもしれないし、もっと早いかもしれないし、二度とこないかもしれない。
そういうもしかしたらを抱えながら、またとにかく明日も頑張る。


言葉にすると短いなあ、と書きながら思った。そもそもこれは全部「好き」の二文字で済むことだから当たり前なのだけれども。
1年に満たない日々。私が3rd観月はじめに恋をした日々。
以前のブログで「私が好きになってしまった人は誰なのだろう」と書いた。本当は気づいてるんだろうけど、それは3rdで宮城くんが演じた観月だよ。
でも、宮城くんのことも好きだし、観月のことも前よりずっと好きになったよ。3人も好きな人が増えてなんて幸せなことなんだろうね。


自分で思ったより好きなキャラの卒業は苦しかった。
でも幸せな日々だったことを私は絶対に忘れないし、時間はまだまだかかるけどちゃんと受け入れたい。テニミュのこれからを全力で楽しみたい。
でもやっぱり嫌だなあ、戻りたいと思ってしまうなあと結局振り出しに戻りつつあるけれど、まだまだ全然、好きで、新しいものを簡単に受け入れられそうにないけれど。
でも言いたい。全部終わったから言える言葉だから、言いたかないなあ、もっと見たいなあと思うけれど。

 

はじめへ

ありがとう。お疲れ様でした!*3

 

 

 

 

 

いつか2.5次元の誰かを好きになるかもしれない私か、誰かへ。

自分のできる範囲でいいからできるだけ見に行ってください。
感情に素直に、避けたりしないで。私は今苦しいけど1つも後悔がないのはあの日々が全力だったからです。
できるだけ何も憎んだりしないで、できるだけ好きだけをたくさん持って。
ちゃんと終わりが決まっているというのは幸せだよ。大好きなまま終われるのだから。

最後はめちゃくちゃ苦しいけどね!!!!!それ以上がそこにあるよ。
頑張れ負けるな必ず勝て!
めげてないでテニスしようよ!落ち込まないで試合しようよ!
テニミュのアンコールソングは本当に励まされる。たくさん聞いて、また頑張ろう。

 

 

*1:運動会でも見れるかもしれないじゃんっていう野暮は言葉はなしで

*2:私にとって好きや恋と、ガチ恋の違いは好きという感情に苦しさを伴うことです

*3:でもまさかドリライ千秋楽のときに泣いているお客さんに「涙が美しいですね」なんてアドリブが飛び出すとは思わないじゃん!!!もっと好きになった日が最後の日なんてそら引きずるわ。

(今更感想)朝彦と夜彦1987

 山田朝彦 三十歳、高校教師。
一九八七年の夏、俺は十七歳の高校生だった。
その頃の俺の親友……名は山田夜彦という。
名前は似ているが出席番号が一番違いなだけで、親戚でも兄弟でもない。
夜彦は、身勝手で気分屋で躁鬱の激しい厄介な友人で、
いつも息をつくように嘘をついていた。
嘘つきだけど夜彦は正直で。
嘘つきだけど夜彦は、純粋だった。

俺は、夜彦が嫌いじゃなかった。

これは公式HPのinformation文なんですが朝彦の台詞の一つです。あらすじではなくこの文章を選んだことにとても大きな愛を感じていて好き。 

 

 

 

11/1 14:00 桑野法月ペア(トークショーあり)

とても今更な感想なんですが、もう書きたくてたまらないと脚本菅野彰さんの観劇エッセイ*1(以下エッセイ)を読んで思ったので。どうしてもスケジュールを割けず、1回しか見ていないので記憶違いがあったり、桑野晃輔さん好きなのでだいぶ贔屓めの文章かもしれないです…

 

一言で言うとめちゃくちゃよかったです。一言で収まらないんでネタバレしたりエッセイとかに触れながら書きます…エッセイにて菅野さんのすごくいい文章が残ってるのでみんな買おう…安い…

朝彦夜彦、本当に2人の言葉の選び方が好きで調べたら脚本が小説家さんが書かれたということで納得。菅野さんはブログでもとてもいろんな人に考慮した感想が書かれていたのですが、エッセイもひとりひとりの役者さんに丁寧に触れていて、読みながら何度も反芻してしまうほどでした。みんな買おう(回し者ではない)

 


この舞台は必然性の高いストーリーというか、こうするしかなかったがたくさん出てくる話だなと感じました。転がった石は止められない。

一字違いで出席番号がひとつ違うだけで兄弟かと聞かれたり、夜彦が休めばプリント持って行けと言われたり。名前が似ている、そして出会ったことだけが偶然で(もしくは運命かもしれない)、世話焼きの朝彦と躁鬱の夜彦が惹かれあうのも17歳の狭い世界では必然的だと思う。17歳もすごく丁寧に描いていて、「今だったらこうする」っていう30歳の朝彦がいうことにより、17歳の想像できる選択肢の少なさという未熟さが際立っていた。

 

どこから泣いたのか覚えてないんですけど、気付いたら私は夜彦に感情移入して見ていました。個人的に思うところがあったのもあるけども、これはいろんな人の感想を見る限り、桑野法月ペアだからだったからだと思う。

そもそも朝彦は自分のことを普通と言い、夜彦自身は大概の人がかかる病気にかかっているという。真逆だけどどちらかに人間は分かれるように思う。

朝彦の普通さっていうのは特筆することのなさ、両親は健在で、少し面倒見がよく特別頭がいいわけではない。それを象徴するものとして「朝起きて、ああ朝だと思う」という台詞。そして将来を語る場面では、仕事にくたびれながら子供と共に出掛けて「これが俺の人生だと小さく満足する小さな未来だ。」と語っている。

一方夜彦は夜が怖い、不眠症。自分の部屋では発狂して、学校では明るい躁鬱。勉強は不安のためにのめりこみ朝彦よりもいい成績。そんな夜彦にとって朝彦が簡単に語る夢も持てない。

少なくとも私が見た、法月さん演じる夜彦はとても人間らしかった。毎日苦しんでいる、でも本当におかしくなれない。ぎりぎりの理性や自我がある、そういう人間らしさ。その夜彦の隣にいる朝彦は取りようによってはとても傲慢だ。なんだけども桑野さんの朝彦がとてもまぶしく、真っ当で普通で正しいんですよ。夜彦に翻弄されつつ、ちゃんと夜彦を正そうとしている。それはあくまで普通の17歳の尺度で17歳の考えられる程度の正しさなんですけど。この朝彦を見ていると迷うことはあっても間違わないんだろうなと思うんです。そういう陽の引力がすごい。そのため闇属性である私は存分に夜彦に感情移入してしました。

だけどもあさましい朝彦は夜彦の禁句に気づきながら、夜彦の前で「あ~死にたい」って健やかに言って夜彦を怒らすんだけど、もう涙だばだば。夜彦はどんな苦しさを伴っているか朝彦は分からない。当然のように俺だってそう思う日ぐらいあるって言うんです。そりゃそうだ、と両手を上げて降参したくなるほど真っ当なことを朝彦は感じている。朝彦は普通で、適度に気が使えなかったりする、そういうことを分かっているからこそ苦しい。だって朝彦は何も悪くない、夜彦だって何一つ悪くないはずなのに苦しさは消えない。


私は夜彦の過去がもし何かとてつもない大きな事件が起こったせいで、とかだったら一気に興ざめするところだったのですが、さすがというか、ここもとても悲しいくらい、ただ何もないんです。どういう感情を抱いたか形容しがたい、そういうエピソードだけがつらつら出てくる。もちろん父親の自殺という大きな事件を目の当たりにしているけど、結局父親の死の真相は知らず、音楽教師と同級生に対してふざけるなと心で罵倒しながら、ありがとうと言って泣く。そこにあるのは自分勝手な人たちの果てしない善意で、怒りや悲しみよりも空虚さがある。周りの善意にどんどんと押し込められて、夜彦は嘘を呪いながら、自分も嘘をつく。そういう過去を持った夜彦はどんどん死に近づくのに、理性で死にたいという感情と戦っていたように見える。あとは死にたいというより積極的なものでなく、正確には生きたくないという消極的な感情だったんじゃないかな。万引き少年の飛び降りを見た夜彦は怯えてるように見えた。死にたい動機はないのに生きたくない感情が、あの飛び降りという行為に結びつくのではないかと怯える。


なんとかしたいと思っていた朝彦は夜彦によって考え付く限りの選択肢をどんどんつぶされ、最終的に一緒に死のうかと言う選択肢をとるのはやはり当然だと思う。そこに行きつくまでの台詞が本当に好き。「3じゃなく、俺は夜彦の親友だから1か10をつけなきゃいけない」。親友って妄想?の夜彦は否定するんだけど、朝彦はそうでありたくて、そのために死を選ぶし、「生きるか、生きるのをやめるか」という、朝彦にとっては夜彦の禁句に触れないことでも、結果的に夜彦の生きたくないという感情に沿ってしまった。これが「生きるか死ぬか」だったらまた変わったのではないかと思う。

 

やっと30歳朝彦について触れますが、常に後悔をしていたように感じた。結局結婚して子供も生まれてる教師朝彦は依然夜彦から解き放たれてない。17歳よりずっと30歳の描き方のほうが難しいと思うのですが、エピソードがまた絶妙。宅急便のおっちゃんにキレて、なんでこんなことをと思う。通知表には3をつけたいのにずっと戸惑っている。30歳のエピソードから17歳のエピソードが出てくるけど、一つ一つがうまい。
どう解釈しても17歳夜彦の登場は30歳朝彦の妄想でしかない。朝彦は今でも17歳の夜彦を見るということが、たとえどちらのエンドだろうと自分の選択へ感情をが夜彦を通して現れさせている。朝彦にとってあの夏をたぶん忘れられないのだ、平凡な自分にとって親友のような、確かに「何か」だった夜彦との約束が大切で、その刹那的な熱を忘れられず未だに持っている。

 

夜彦は死んでいたのかどうかっていう話になるんですが、私は死んでいないと思う。まず朝彦に熱中症なんて妄想は出るのかという気持ちと何よりも父の死に呪われてしまった夜彦に朝彦の前で死んでほしくないっていう希望があります。
恐ろしいことに死んでいないことがハッピーエンドとは言い難いんですよ。一緒に死ななかった、なおかつ夜彦も死ななかったのに、それも含めて朝彦は後悔してる。つまり死ななかったエンドとは「朝彦は一緒に死にたいと思ってるエンド」なんです。17歳の頃より現在進行形で思っているということが闇深いよ。教師である朝彦は嫌でも夜彦を思い出す(そりゃ同じ学校に勤めてたら思い出すわ)、じゃあ30夜彦は妄想かもしれないんだけど、そういうこと言い出したらキリがないからやめます。ただ唯一朝彦が救われる出来事としては共学になるということなんじゃないかな。いろんな気持ちが詰まった出身の男子校に女子というイレギュラーが入ってきて日常になるというのは17歳の出来事から遠ざかるきっかけになるのではないかな。いや、それが救いなのかは結局のところ朝彦しか分からないのだろうけど。それすらうっとうしく過去にしがみつくかもしれない、ここはもともと男子校だったと女生徒に永遠に語っているかもしれない。

 

終演後のトークショーでは桑野さんは「朝彦が躁鬱になる話」といっていた。朝彦を演じる彼にとって30歳を躁鬱と解釈していて、そうか、朝彦は夜彦の気持ちを分かるようになったのかな(でもそれって生きたくないってってことじゃん?!)役者さんも人によってはエンディングを解釈しきってないとかあるみたいで楽しかったです。

 

そして、結局俺たち(の関係)は「なんだった」んだという会話が何回かあるんですけど、名付けられないっていうのがもはや答えな気がする。友情とか親友って呼ぶにはこう、対等ではない関係だった。朝には太陽が昇るし夜には月がいる。巡り合わない。親友って言葉を出してわざと否定させたり。他人や私たち観客が名付けたっていいけど、結局朝彦と夜彦にしかない感情や熱や感覚があるのだろううと思う。だからこそ私はこの2人が大好きで、遠い場所で一生わからない2人のことをずっと考えてると思う。

 

そんな2人に対して様々な感情が巡って未だに反芻してるんですが言語化してるは冒頭に書いたとおりいくらか浄化できたからです。きっかけとなったエッセイにて少しだけ脚本にも触れていたのですが驚いたのは、ト書きの多さ。

この舞台はリーディングドラマ(朗読劇)なのですがその選択をしたことにとても納得しました。舞台の冒頭部分もエッセイに載っています。舞台では朝彦の様子をナレーションのように夜彦役の方が説明するところがあるのですが、本来ト書きなんです。しかもさすが小説家さんというか、ト書きですら情緒溢れまくっているので、本当にこのト書き部分を伝えることのできる朗読劇はとても正解だと思う。相変わらず中屋敷さんの天才ぶりにおののくしかなくなっております。

 

裏話。
書籍掲載時はタイトルが全く違いました。今回のためにタイトルをシンプルにしました。
打ち合わせで中屋敷さんが、
「僕このタイトル好きなので何処かで使っていいですか?」
と言われて嬉しく快諾しました。
結果、思いもよらないところに入った。
そこ鳥肌立つくらい、いい。

菅野彰 (@akirasugano) 2015年11月1日

菅野彰 「朝彦と夜彦1987」を終えて/演出家中屋敷法仁より
タイトルについて、このように語っていますが私は血眼で探しました。戯曲が欲しかったのですが本当に出回っていないようなので、もし権利問題クリアするなら書籍電子書籍その他なんでもいいので出してほしいです。もし関係者の方々このブログ読んでたら頼みます。つまり私はタイトルを発見しました。そしてそのタイトルは本当に見事に、一度しか見ていない私でも覚えているような印象的な箇所に、自然に存在してました。2人関係や一瞬の青春の温度、その思いの長さのようなタイトルでした。多分菅野さんはあまりこのタイトルを広めたくないように思えたのでツイッターとかで書けないな、と感じたのですが、エッセイにてタイトルを載せていました。それくらいには広めたくない、でも今回舞台を見た人に、この舞台がもしかしたらどこかで上演されるときのために知ってほしい菅野さんのいじらしさですかね。ちなみに戯曲は国会国立図書館にあるそうなので今度読みに行く予定です。

 

 

 

 

再演してほしいなって、口に出していうの簡単なんだけどそもそもキャストが同じかどうかとか会場はどこだとかどれくらいの期間なんだとかいろんな問題が重なってくるんだよなと勝手にうんうんと考える人なので私はあんまり言わないんだけど、この作品は是非再演してほしい。キャストが変わっても、朗読劇でなくとも、どういう形でもいい。私は朝彦と夜彦が大好きなので、2人を、また一目でもいいから見たいのです。これはエッセイにて全く別の文脈で出たんですけど本当にそうだなと、とても好きな言葉だったので。

 成功と人が見るものの根本は、なんでも基本は愛だと私は思っている。 

 

どうか愛のある再演を。

 

 

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*1:小説Wings (ウィングス) 2016年 03 月号 「非常灯は消灯中」菅野 彰

3rd聖ルドルフ公演がこんなにも楽しかった話。

テニミュにはまるということ。
ルドルフ公演始まってからが本番なので忙しい人とかは飛ばしてください。
本当にただの雑記です。私が見たテニミュの話。

(※山吹初日前に書いたもの事です)
(山吹面白かったです、これから地方、凱旋あるよ!)
(ほぼ勢いで書いてる)



これまでの私とテニミュ

そもそも初テニミュは2nd四天宝寺というスタート。
本格的にハマったのは全国立海凱旋公演(全立2回目)
(主な原因は立海目線で試合を見たこと)

そこからはすべて楽しかった。だって私テニスの王子様のこと何も知らないの。はじめましての原作、キャラソン、新テニ、テニミュetc…

ドリライ2014は絶対行くと思った。だってテニミュ2ndという長い旅の終わりに立ち会える。そこには私の知らない物語がきっとたくさんあるのだろうと思うが、歴史的な瞬間であることには変わりないし、どんなに遅くても今から見れるものはちゃんと見たいと思った。

3rdに対して、様々な感情を持った人がいた。
私はまったく新鮮な気持ちで、むしろまた最初から見れるのはお得だと思った。でもどこかで熱は落ち着いていた、しょうがない、お金もなく課題とバイトで奔走してて、プレビュー公演はいけなかったしネタバレはいくつも目にしていた。でも不動峰の校歌はいつも泣いていた。
そんな中チムライも決まったが、私は青学がまず課題が忙しく断念。不動峰は一回見に行った。

ここからが本編。

テニミュ本番がルドルフからだった話。


私にテニミュをすすめてくれた友人が初日を見る予定と知り、同行をお願いした。東京公演に後輩が行きたいといってくれて、せっかくだからと東京楽に入ることにした。普段私は東京公演1回、凱旋1回、ライビュで満足する人間だったので少し多いなと感じていた。凱旋も一公演申し込み無事当選。この時点で3回行くこととなった。

初日はアリーナということ、観月というキャラクターが好きなこと等地味に楽しみにしており、テニモで過去の曲を何回も聞いていた。どの曲が使われ、どの曲が新曲で、どうなっていくんだろう。それと同じくらい不安はあった。特に観月。2ndの観月はじめははかわいらしくて、中の人が好きという理由が大きいのかとても好きだった。あのねちっこい喋り、原作通りのフォーム、愛らしさ。私はもしかしたら観月はじめはもう小林豊と一体になっているのかのようにイメージが固められていた。


3rdルドルフ公演初日。
当たり前のことを話しますが、初日って観客全員が何も知らず、初めての素直な反応とか、テニミュ情報最前線なんですよ。物語は知っているのに、全く新しいものが用意されていた。
一幕の終わりの瞬間を今でも鮮明に覚えている。拍手とともにゆっくり幕が下りていく。下につくかつかないか、その瞬間に一気に歓声に似た声が響く、みんな一斉に一緒に来ていた友人に話し出した声だ。みんな言いたくてたまらないのだ、すばらしいと!
これが初日なんだ。

個人的圧倒的だったのはルドルフ校歌「テニスの精鋭部隊」不動峰同様、校歌は変わるとなぜか(本当になぜか)確信していた私にとって、「選ばれしテニスのエリート」以外の曲というのは不安でしかなかった。しかし圧倒的に予想を上回ってきた。イントロから流れるパイプオルガン、不安をあおるメロディ、「俺たちは強い」という歌詞。

そして観月はじめ。合ってるかどうか本当に分かりませんが勝手にあるイメージとして、テニミュは役者が成長することを前提としてると思っていて、だから観月はじめはまだ未完成のもの、というふうな感情で見ていました。
でも完成してた。
本人の顔のつくりだったりメイクだったりすると思うのですが、少し暗い印象をまず感じた。「んっふ」という観月の台詞は台詞ではなく息を漏らすような、言葉ではない、笑いでももしかしたらないかもしれない、得体の知れなさ。そして彼は貧乏ゆるりをする。

えっ、誰なの。

どこからどう見ても観月はじめだった、でも私の知ってる観月はじめじゃない。
観月はじめはかわいらしくて、少し周りを巻き込んで癇癪を起こして、それでも許される愛らしさみたいなものがあって。

愛らしくない、周りを巻き込んでない。この人は一人で病んでいってる。

ふと思い出す。
彼はかわいらしかったか?癇癪を起したりしてた?愛されてた?
もちろん正解は無数にある、でも私の中に絶対に今まで存在してなかった矛盾なき正解が目の前にいる。この衝撃ってなんだろう。よく役者の解釈がとかそういう話は聞いていた。聞いてた知っていた、でも体験したことはなかった。
「俺たちは強い」
校歌の一節がよぎる、この観月はじめは強い。

その日、バイトに向かう途中双眼鏡を買った。
みんなの演技をもっとちゃんと見たいという欲望があふれていた。
その期間はとても忙しくもう増やすなら明日しかないと当日券を買うことを決意(当日券を今まで買ったことはなかった)そして翌日バイトが夜遅いのでソワレでいいと眠りこけ、雨の中TDCに向かう。そして16:00、そろそろかドキドキしながら待っているが、列もない、人もむしろどんどん減ってく。その日ソワレ公演はなかった。自分の馬鹿さと日曜の夜に公演をしない運営にめちゃくちゃ切れながらフードコートのうどんを食べて帰った。怒りのまま予定を見返し何とか火曜日に行ける日があると気づく。

9/8 ソワレ
楽しすぎてレポ(絵)をツイッターにあげる。ちなみにこの時点でだいたいルドルフのツイッターのログやミュブロを読みまくる。帰り道、日曜までテニミュ見れない世界が本当に信じられなくなる。あらためて言いますが、今までは東京公演、凱旋1回ずつとライビュで十分と思っていた人間です。十分ってなんだ、全然足りない、もっと見たい、何回でも見れる、チケットが安い、元を全然取れる。

その後課題の忙しさと人間関係がうまくいかなさからさらに病む。ツイッターのレポを漁る日々(ほぼ寝てない)日課は安い高速バス(遠征用)を探すことになる。


9/13待ちに待った東京楽。
初めての後輩と一緒だったので引かれないように、自分がいかに熱に浮かされているかを話した。今考えると絶対にもう引かれていた。そして私の中で予想外の出来事が起こった。木更津淳演じる佐藤祐吾が、あいさつ最中に泣いた。さすがに観客も、そしてキャストたちもあわてていた。そりゃそうだ、これから各地を回って、また戻ってくる、序盤なのだ。でもぼろぼろ泣いた。周りはちょっとおちゃらけたりとか頑張って慰めていた。今考えると初々しいよね…(佐藤くんがでなく、佐藤くんが泣いた対応に戸惑うみんなが)(その後はフルコンボで各楽泣いてる)
そして挨拶後のバラード曲(NOW&FOREVER)
観月はじめ演じる宮城くんが泣いた。確かに少し泣きそうな雰囲気はあいさつ中にあったがその時は耐えていた。しかし、これでもかというくらい、彼は泣いていた。だんだん歌えずになって、口が歪んで、下を向き、小さく頭を振った。

もう一度前を向く。

でも歌えない。

キャラクターでいなきゃいけないのに、ぼろぼろと仮面が取れてゆっくりと本人に戻っていく。

私はテニミュを初めて見たときの感想の1つにこんなのがあります。
「全部終わって挨拶のとき、キャラとキャストが曖昧になっててすごい特別感があった、そこの曖昧なところが醍醐味でありそこを好きになっちゃうとほんの数ヶ月の叶わない片思いみたいで辛いだろうな!!!ってなった。このキャストありきのキャラ!って刹那的で余計はまってくんだろうなーって思う。」
今考えると完全同意は難しいけど、でもキャラとキャストの間だった。魔法が解けていくみたいだ。涙から観月でいることができなくなって、ただの宮城になっていって、でも観月になろうとしているこの人はいったい誰なんだろう。この魅力は誰なのだろう。

対して佐藤祐吾はこのとき泣いていなかった。このあともそうなのだが木更津淳でいなくてはいけないとき彼は泣かない。目はさっきまで泣いていたことがはっきりとわかるくらい真っ赤な佐藤祐吾で、泣かない姿は木更津淳。役者とキャラクターの階層について論じてる人はいるけど結局これはどこの魅力なんだろうね。私が好きになってしまった人は誰なのだろう。





その後の宮城公演は行きたかったのですが課題が忙しくパス。
しかし一緒に初日に入った友人が急きょ遠征をする。この友人とは東京凱旋でめちゃくちゃ行動を共にすることになる。
(悔しかったのが、某アイドルグループのコンサートのために宮城行く予定があって母の実家もそばだったのに入れ替わりで身に行けなかったこと。)

初の遠征を果たす(名古屋)
もはや日課になっていた高速バスを予約、帰りは新幹線。生まれて初めての遠征は1人な上に日帰り、しかも勢いで決めた。
前日も翌日もバイトがあったが凱旋公演のために休みたくなかったので日帰り決行。ソロ。名古屋駅でめちゃくちゃ迷う、直前に宮城君に手紙を書いた。(今までに手紙を書いたことは1回だけ、現役テニスのキャストさんに描くのは初めてだった)とてもベンチワークが面白くなっていてびっくりした。反応のバリエーションが増えて、地方が楽しいというのを身をもって実感。なお地方ネタは本当に分からなかった。あと席がめちゃくちゃよかった。ちなみにこの時点で双眼鏡を駆使し、本当に観月しか見ていなかった。この観月さんの一挙一動を私は見逃したくない、という欲に取りつかれた。何を話してる?何を考えて、何に怒ってる?

そして手元には東京凱旋のチケットは1枚だった。
働けばお金は手に入る、ということに気づき、ゆるやかにチケットを増やしていく。最終的に凱旋は外せない予定が被った前楽と1回他舞台を見に行く以外、つまり6公演のチケットを買った。千秋楽も行くこととなった。見切れ席のチケットを先述の友人が取ったのだ…


凱旋前の期間は本当に課題とバイトのみをしていた。特に働きまくり最終的に体力が追いつかず死にそうになっていた。やっときた東京凱旋では完全に考察をすることが楽しくなっていった。毎日新しい発見をしていく、しかしそのバリエーションは多くはない。原作でキャラがコマに描かれていなくても、ベンチでどのように試合を見ているのかなどということをキャストは表現しなくてはいけない。今まではサービスで通っている人のためにも毎日バリエーション豊富に動きをしているのだと勝手に思っていた。さまざまな動きをしていたベンチワークなどはむしろ静かになり、昨日と同じことをやっていることもある。動きが同じというのは、このタイミングでキャラクターはこの動きをしているのだという、演じ手が出した正解ということなのだ。この発見を自分でしたときの高揚感はすごかった。
もしかしたら今までずっとテニミュを好きな人からしたら当たり前なのかもしれない。でも通ってなきゃ私はきっと一生気づかなかった。

少々雑記
  • どうしても見たい舞台がテニミュとだだかぶりで1回だけ見に行ったのですがあまりにもぼろ泣きして夜テニミュなのに2回電車を乗り間違える。
  • 一緒に行く子とは基本帰り道が被らないのでグッズ買うからとお別れしたらものすごいスピードで帰ってくる。「座席当選してるよ!!!」掲示板?を見るも一向に自分の番号を発見できず「これだよ」と指さされて怒りながら教えてくれる。本当に信じられないが当たってた。おめでとうございます、好きなものを選んでください。と言われ直感で一番上を引く。佐藤祐吾。まさかの推し(こんなに観月のことを話しておいて他にも推しがいる)出入口付近で止まり介護のように外へ出してくれる友人二人。なお二人とも私の推し、観月、乾と被ってるので本当に一番いい人を引けた。乾か観月ならどちらかに刺されていた。
  • 結構頑張ってレポしようと思ったのですが予想外に長くなったからここでまとめます、ホテル女子会した。10/31ソワレのち飲み屋で時間をつぶしホテルへ。みんなで不動峰を見ながらお酒とハニトー。ジャンハイではみんなでハイタッチした。楽しいし騒げるのでホテル女子会おすすめです。
  • 稼ぎすぎてまさかの黒字。テニミュに通うとお金もたまる。

そして千秋楽を迎えた。
全く動揺とか悲しみはなく、最後の日は決まってて、気持ちも最後にちゃんと向かっていた。終わった後のツイートをそのまま置いておきます。


なぜこんなことを書いたかという話。

理由は2つ。
そもそも私は2ndは友達から誘われてしか基本的に行ってなかったんですよね。しかし今年のはじめテニミュ出身の俳優さんの舞台を皮切りに自主的に舞台を多く見るようになった。そこからのルドルフは想定外だったがとても楽しく熱があふれた2015の出来事ということで年の瀬にまとめたかった。

そしてちょこちょこ出してますが、課題などが本当に大変で、今回の卒業制作で終わるのですが今現在本当にまずいところに立っています。正直まじでこんなの書いている場合じゃない。場合じゃないけど山吹初日行きます。


そう!!!!!!!!!!!!初日!!!!!!!!
3rd山吹公演が始まります!!!
この記事テニミュ全く知らない人は見ないと思うけど!見に行こう!


現場でしか知れないものがたくさんありました。
結局あとから好きになると当時の細かなニュアンスや変化、エピソードなどが分からないのです。でも過去があって今のテニミュが、今のテニミュがあって未来のテニミュが出来上がっていくと思う。「氷帝から」ってどこから出きた言葉なんだろう?
話しはそれましたが、本当に制作がまずいのでツイッターなど一旦消して全部の情報をほぼ遮断することにしました。どうしてもテニミュ期間中はツイッターを開けばキャストのブログやみんなのレポがあるのですが、漁ってる時間も惜しいレベルになってしまいました。だから自分の気持ちを整理するために長々と書いてしまいました。本当にこんなに長くなると思わなかった。


1か月後にはまたテニスという温かい温泉のような沼に戻ってこれるので。
アデュー。