3rd観月はじめに恋をした 私へ(7/11追記)

 

 

何度も永遠にもうこない夏を見送ってきた。
私は確かにそこに参加はしていないんだけど、それを眺める行為だけのはずなんだけど、あの日々私にとってもそれは二度とない夏になった。もらったものは、オレンジ色の青春だった。

 

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4月28日。東京駅に私はいた。家族とお出かけで集合時間である12時に、改札へと歩く中LINEが鳴った。「画像が送信されました」という友人からの通知だ。そこには、DreamLive2018の追加出演者 観月はじめと記されていた。あの日からずっと夢の中にいる。

 

ドリライ神戸公演にどうにか行けないかと思ったが予定を調節するには直前すぎてどうにも出来なかった。それでももう横浜公演は明日に迫っているのに、現実味はない。
運動会があるならいいなと、2016年のときは思っていたが、時が経つにつれて無理な願いであるとは感じていた。もうこれだけ栄えている2.5次元舞台の世界。3rdテニミュに出た俳優がどんどん人気作品に出ていっている中でそのほとんどの人のスケジュールを抑えるのは現実的に無理だ。それはつまり、イコールでもう卒業していった彼らにおかえりという声をかけることは不可能に近いんだと、緩やかに夢を手放した。

 

叶うならもう一度、なんて怖かった。望んだ分、失望が嫌だった。ただの期待が怒りや憎しみに変えたくない。そうやって無視を続けた。
なのに、そんな偶然が、贅沢が、突然叶った。
だからこんなに動揺している自分がいる。
何より動揺したのは、自分にこんな簡単に埋め尽くされてしまうくらい、彼にたくさんの好きをちゃんと持ち続けていたことだ。戸棚のずっとずっと奥の方から、アルバムを見つけたような。そう。好きだった。こんなに好きだった。ずっと会いたかった。


3rdルドルフがいた日々、観月はじめに恋をした日々。間違いなく私にとって青春だった。
初めて当日券に並んだこと。初めて遠征したこと。双眼鏡を買った。チケットを必死に取った。

 

ルドルフ公演のときの、はじめの一言でテニスの精鋭部隊の曲が始まる、本当に全てを操っているかのように、みんなの息が止まって静けさが訪れるあの瞬間。負けを知ったはじめが赤澤の言葉で突き動かされる場面。はじめの貧乏ゆすり。暗転の瞬間にある赤澤とのグータッチ。ベンチでのタオル芸。恐ろしいほど冷たく響く「バカ弟」というセリフ。僕たちはまだ終わっちゃいない、と力強く声を震わせて言う場面。

宮城くんはもともと観月のことが嫌いだったこと。

ドリライの最後のあいさつで、「誰がなんと言おうとここにいる7人がこの3rdの最高の聖ルドルフ学院だったと僕は思っています」と言ってくれたこと。


DreamLive2016で、指名された観客の会いたいキャラが登場してくれるコーナーがあった。前の方にいるファンを3階から眺めた。彼女は、涙をを流しながら観月はじめに「好きなお花はなんですか」と訊ねて、薔薇だとはじめは答えた。
うまく言えないんだけど、あの瞬間、私は一生をもらった。この瞬間が存在したことを、目撃したことを、一生持ちつづけておこうと思った。決して忘れないでいつづけようと。

 

 

見に行って、どうしようもないくらい好きだと、また苦しくなったらどうしよう。諦めが得意になった心に、それはどんなふうに刺さるんだろう。再会が嬉しくても、またすぐにお別れがあると思うと少しだけ怖い。
でも、会えるだけで幸せだと、穢れなく子供みたいに喜ぶ心がちゃんとある。自分がどんなに贅沢かをちゃんと知ってる。好きだけを持ってこう。

 

さよならをあなたの声で聞きたくて あなたと出会う必要がある *1

 

また明日。誰にとってもいい日でありますように。

 

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7/11追記


オープニングにDREAMが流れるだけで、泣きそうになった。これは去年のドリライも同じだ。王子様たちが夢に招いてくれることが嬉しくて、愛おしくて、同時に一昨年も去年もみた夢の感情が湧き上がって、そういういっぱいに埋め尽くされるから。

DREAMではじめが登場したとき、倒れそうになった。いる。存在してる。ずっと会いたかったはじめを、もう見れないと思っていたはじめが、いる。私の視界はおかしくなって、それ以外の全てが見えなくなった。

 

ゲストがどのように扱われているか、前情報を入れないようにしていた。コーナーでも持つのか? 何をするんだ? 予想は気持ち良く外れた。ただ文脈を壊さず、特別はなく、自然な流れで自然にいてくれる。楓馬不二とラリーをしてくれた。ザレギュラーのソロパートで「喜びの日まで続く苦しみ」が割り振られ、歌うはじめがとても可憐だったこと。花道で決めポーズをするはじめのライトが紫だったこと。ねえ、一昨年の私は信じないでしょう。ねえ、そういう夢をまた目撃できたんだよ。今日見たはじめはね、髪が少し短くなって、柔らかく笑う人で、それでやっぱり綺麗だったよ。

 

 

 

 

ameblo.jp

 

その日の夜、宮城くんはブログを上げた。テニミュが好きな人なら刺さる何かを感じたと思う。
宮城くんは、すごい。私がもし若手俳優になってもこんな文章書けない。人生が何周もできてそのたび俳優という職に就けたとしても、絶対に書けない。それくらい遠い視点を、ふと落とされた。
「目に、目に焼き付けて下さい。」
「記憶にある内はキャラクターはずっと成長してます。」
もう一回やりたい、なんて期待させる言葉も、本当に最後です、なんて言葉も彼は綴らなかった。まるでお別れのようなのに、誰にも酷くなくて、ちゃんとこれからの言葉だった。彼自身の欲はなくてひたすらに私たちに優しい言葉だった。私は一生こんな言葉思いつけない。
そういう私だから、読んだとき零れた欲に抗えなくなった。ずっといてよ。こんなに好きなのにいなくならないでよ。また、出てよ。
そういう言葉を今までもたくさん浴びたであろう彼が真摯に出した答えはとびっきり温かくて思いやりがあって、正しかった。

でもさ、やっぱり私、寂しいんだ。


2年前の卒業の日、唯一後悔してることは瞬間の美しさに浮かれて、ちゃんとその姿ひとつひとつを心に留めることを忘れていたことだった。

 

 

 

千秋楽の青学9代目の挨拶は、みんな素敵だった。卒業する日に次の演者のお披露目を見た彼らは、寂しさや感謝や、思い出を繊細に鮮やかに、それぞれの色で語った。
誰が言ったんだったかなあ。「僕の中に、ずっとキャラクターはいます」という言葉を聞いたとき、急に今までの全てがするすると繋がっていった。そっか。そうだ。何度も聞いてきたはずの言葉が、この生々しい瞬間でしか感じることのできない意味を持って、クリアに、胸に落ちて視界は開けた。

 

それって、両思いだ。

ふと浮かんだ言葉は間抜けなものだった。

 

演じた過去が消えないということは、ずっと彼らの中にもキャラクターはいてくれる。どうしてそんな簡単なこと、今まで分からなかったんだろう。ずっとずっと私だけが思っているなんて馬鹿な思い上がりを、どうしてしてしまったんだろう。

はじめが卒業してから自分の恋に気づいて。そのときからずっと私の中にあった言葉は「別れ」であり「失恋」だった。でも、初めて知ったときはあんなに張り詰めていたはじめは負けも痛みも、絆も知って、よく笑う男の子になった。私の中のはじめは笑っている。いつづけてくれる。永遠より酷かもしれないけど私が忘れない限り、ずっと。

 

 

千秋楽だけ、アンコールソング時に空からハートが降ってきた。ゆっくりゆらゆら揺れながら舞うハートの中で王子様たちがみんな笑っている。貴方も、私も、テニスの虜。この景色を目に焼き付けることを決めて、瞬きをした。*2

 

 

 

*1:枡野浩一 短歌『歌 ロングロングショートソングロング』(2012)

*2:宮城くんは公演後ファンクラブ限定のブログに感想を上げていて、それも素敵だったよ。大好き